第二 新しき創造――復活のキリスト

藤井武

一 墓は虚し

麦は伸びた。枯れしようなる樹々の枝には又新しき柔らかき芽がふくらみ出した。黒土の上に青きものが競うてでた。落ちこぼれたる種子より萌えでし菜の花などが思いがけぬ所に咲いている。「影暗き森はこれをうぐいすに与えよ。栄ある光明の蒼穹そうきゅうこそ汝のもの」とワーヅワースの呼びかけたる雲雀ひばりは大空高く姿も見せで、歌いに歌うて、さながら歌い死せんとするかと見える。かくて万物が生命と希望とをもってつる春四月、何と言うても季節中の季節はこの時である。

万人に取って楽しきこの季節は、キリスト者に取ってはさらに遥かに喜ばしきものである。すべての人が生命を思い希望を思うこの時に当り、キリストの徒の思いは永遠の生命永遠の希望に係る。何となれば新しき生命と希望との根柢こんていたるキリスト復活の季節がこの時であるからである。クリスマスが俗界の流行となりて驚くべく堕落したるに引き比べ、我等はひとしお復活節の清き喜びを感ぜざるを得ない。

ルーテルが言うた「世の終わり――キリストの再び来たりたもう時――は多分一年中の最も美しき季節すなわち四月のイースターの頃であろう。しかして多分朝つとに日出の頃であろう」と。誠に地が美化せられて最も天国に似るはその頃である。かかる美しき日の朝、いつか主の声聞こえて、多くの死せる者は呼びまされ、彼のもとに集わしめられ、しかして再会の限りなき歓喜に入るであろう。「わが愛する者の声聞こゆ、見よ、山を飛び岡を躍り超えて来たる。……わが愛する者我に語りていう、わがともよ、わがうるわしき者よ、ちてで来たれ。見よ、冬すでに過ぎ、雨もやみて早や去りぬ。もろもろの花は地に現われ、鳥のさえずる時すでに到り、山鳩の声我等の地に聞こゆ云々」。復活について考うるに絶好の時は確かにこの季節である。

キリストの復活という、我等はずその意義を明確にせねばならぬ。復活とは如何いかなる事実であるか。ある失望せる懐疑家がまさに毒杯を傾けんとする時、彼の耳にイースターの鐘の音が響いた、また「主は甦りたまえり」との讃歌の合唱が聞こえた。毒杯は彼の手より落ちた。しかしながら彼は言うた、「いかにも嘉き音ずれを私は聞く。ただ信仰が私には無い。奇跡は信仰の愛子である」と(ファウスト)。ここに多くの人の声がある。奇跡ならぬ復活でなくては彼等の受け入るる所とならない。謂う、霊的の復活と。例えばキリストは死後その弟子等の心の中において復活したという。死したるキリスト彼自身の生命の復活ではない、彼の精神が弟子等の心に深く植え付けられ、彼の死後そこにありて生きかつ働いたのであるとの意である。また例えば有名なる『ナザレのイエスの歴史』の著者カイムのごときは曰う「キリストは死と共にその肉体を棄てて純粋なる霊的生活に入ったのである。彼は今や純霊的存在者として永遠に生きつつある。この意味において彼は復活したのである」と。思うに今日多数のキリスト者の復活観は実にこれである。教会の講壇より公然唱えらるる声はこれである。

弟子等の心中における存続、もしくは純霊的存在者としての生活、かくのごとき語にたとえ如何いかばかりの意義があるにもせよ、それはいずれも復活ではない。前者は逝きし者の感化又は記憶に過ぎない。後者は霊魂の不滅に過ぎない。これに反して聖書に記さるるキリストの復活はどこまでも文字通りの復活である、すなわち一度ひとたび死したるものが再び生命を回復することである。キリストの復活は記憶でもない、霊魂の不滅でもない、彼の身体の復活である、一度ひとたび十字架にけられ、死して葬られたるキリストが再びその身体をもって甦ったのである。これを信ずるの困難と否とを問わず、聖書における復活の意義は疑うべくもない。弟子等の見たる復活の主は純霊的存在者ではなかった、それは身体を備えたるイエスであった、人としての性質を失わざるキリストであった。死者の霊魂が再び新しき身体をまとうて永遠の生活に入る事、これすなわち復活である。

このゆえに聖書におけるキリスト復活の記事は一つの例外もなくず彼の葬られたる墓が虚しくありし事より始まる。弟子等は復活の主に会うに先だち、虚しき墓を発見したのである。

一週ひとまわりの初めの日、朝まだき、女たち備えたる香料を携えて墓に往く、しかるに石のすでに墓よりまろばしけあるを見、内に入りたるに、主イエスの屍体しかばねを見ず。これがために狼狽うろたりしに、見よ、輝ける衣を着たる二人の人そのかたわらに立てり。女たちおそれておもてを地に伏せたれば、その二人の者いう、「何ぞ死にし者どものうちに生ける者を尋ぬるか。彼はここにいまさず、甦りたまえり。なおガリラヤにたまえる時、如何いかに語りたまいしかをおもでよ。すなわち人の子は必ず罪ある人の手に渡され、十字架につけられ、かつ三日目に甦るべしと言いたまえり」。ここに彼らその言をおもで、墓より帰りて、すべてこれらのことを十一弟子及びすべてほかの弟子たちに告ぐ。この女たちはマグダラのマリヤ、ヨハンナ及びヤコブの母マリヤなり。しかして彼らと共にりし女たちも、これを使徒たちに告げたり。使徒たちはそのことば妄語たわごとと思いて信ぜず。ペテロはちて墓に走り往き、かがみて、布のみあるを見、ありし事を怪しみつつ帰れり。(ルカ二四の一~一二)

キリストが十字架につけられし時、やや程遠く離れたる所に多くの婦人たちが立ちて、彼の最期を見届けつつあった。彼等は主及び十二使徒等のガリラヤ伝道の間おのが所有物を献げてその生活を助けたる婦人たちであった(ルカ八の三)。主が最後にエルサレムに向かって上りし時、彼等は共に従い来たりて彼に仕えた。光栄ある福音史上彼等の名は永く伝えられねばならぬ。その一人はイエスによりて七つの悪鬼をい出されしというマグダラのマリヤであった。又ヘロデ・アンチパスの家令クーザの妻なるヨハンナ、また主の弟子ヤコブ及びヨセフの母なる今一人のマリヤ、又使徒ヤコブ及びヨハネの母なるサロメ、又スザンナとなづくる婦人等がその中にあった。

上なく厳粛なる最期を実見して、彼等はただ茫然ぼうぜんとその場にたたずんだ。やがて夕闇は迫った。身分ある二人の者が何処よりともなく現われ来たりて、イエスの身体を運び去った。議員アリマタヤのヨセフ及びニコデモである。婦人たちはその後に従うた。ヨセフのものなる新しき墓の中にイエスは葬られた。貴き屍体は彼処にやがて朽ち果てるであろう。名残なごりは尽きねど、暗さはつのり、かつ安息日は迫りたれば、婦人たちは悄然しょうぜんとしてエルサレムの宿へと帰った。みちすがら彼等は香料と香油とを購うて、安息日の過ぎ去るを待った。屍体の葬られし時、ニコデモがすでに香料と共に布にてこれを巻きし事を彼等は多分見て知っていたであろう。しかし特別に深くイエスを愛したる婦人たちは、さらにおのがこころを表わさずしてはみ得なかった。

翌日は律法に従うて終日家にありて彼等は休んだ。彼等の心はただ墓に葬られたる者の上にあった。

安息日の夕を過ぐれば、最早もはや一週の初めの日である(ユダヤの一日は夕より夕に至る)。夜の明くるを待ち兼ねて、朝まだき、彼等は備えたる香料を携えながら、墓を指して出懸でかけた。

画か、詩か、誠にうるわしき光景である。時はいつ。春四月、朝風なお冷たく、日の光ようやこずえの間よりさし初めし頃である。目指すはいづこ。エルサレム市の郊外小高き丘の上、天然岩に切り込まれし墓である。墓の中に横たわるはれ。谷の百合ゆりレバノンの香柏のごとくにたぐいもなく気高き一人である、全き愛のゆえにおのが生命を棄てたる一人である。彼ありしによりて彼等は人生のさいわいを経験した、彼の存在が彼等の喜びであり望みでありいのちであった。しかるにその一人が今や光の消ゆるがごとくに彼等の間より取り去られたのである。彼等の望みは失せ果てたのである。彼等は最早もはや何をなすべきかを知らない。しかしただ一つなさずしてはみがたき事があった。すなわち愛する者の屍体を香料にて塗る事であった。彼等のささげ得べき最後の献物はこれであった。この一事の中に言うべからざる愛と尊敬とのすべてを表わさんことを彼等は願うた。

マグダラのマリヤは通常ルカ伝第七章に記さるるる罪ある女と同視せられている。イエスがパリサイ人の家に招かれて食事の席に着きし時、香油の壷を持ち来たりて、泣きつつ彼の足許あしもとに立ち、涙その足をうるおしたれば頭髪を解きてこれをぬぐい、また足に接吻せっぷんして香油をりし女すなわちこれである。七つの悪鬼をい出されしというマグダラのマリヤの経験を道徳的の意味に解して、罪ある女と同視したのである。この推定は必ずしも当っていないかも知れない。しかしながら少なくとも、ここに婦人たちが香料と香油とを携えてイエスの墓を見舞わんとする時の心事は、この罪ある女の経験に酷似している。彼女の所為を見て、当日の主人役たりしパリサイ人がその心中に「イエスもし預言者ならばさわる者のれ、如何いかなる女なるかを知らん。彼女は罪人なるに」と思いしを察し、イエスは彼に向かって言うた。「シモン、れ汝に言うことあり。ある債主かしぬしに二人の負債者ありて、一人はデナリ五百、一人は五十の負債おいめせしに、償い方なかりければ、二人を共にゆるせり。されば二人のうち債主かしぬしを愛することいずれか多き。……このゆえにれ汝に言わん、この女の多くの罪は赦されたり。これによってその愛もまた多きなり。赦さるること少なき者はその愛もまた少なし」と。後に同じようなる事が再びベタニヤのマリヤによって行われし時、弟子の一人が「何ぞこの香油を銀三百に売りて貧しき者に施さざるか」と非難したるに対し、イエスは答えて「彼に係わるなかれ。が葬りの日のためにこれをたくわえたり。貧しき者は常に汝等と共にれど、我は常に汝等と共にあらず」と言うた。これらの物語は、イエスが人の真心よりでたる美しき献物を如何いかに喜びたまいしかを示すものである。しかして今や彼の死したる後にまた同じようなる心の発現があった。一週の初めの日、朝まだき、香料を携えて岩蔭の墓に向かいし婦人たちの胸には人としての純なる愛がちておったのである。

美しきは愛である。一つのハートに純なる愛の入りしという事実は人生最大の経験たるを失わない。さながら室内に香り高き薔薇ばら花の入りしがごときである。その全体の空気がこれによって美化せられる。汚き香は遂に存在するあたわざるに至らしめられる。人の心を潔むるに愛ほど力あるものはない。これを称して「新しき愛情の駆逐力」という(チャルマーズの言)。誠に深き真理である。愛はまた不可能を可能と化し、困難を容易と化する。義務としては大いなる重荷である事が、愛する者の要求としてはかえってわが喜びと成るがごときは何人も熟知せる実験である。人生の秘密はおよそ此辺にある。愛のしき消息に参与せずしては、いまだ人生の核心に触れないのである。「たとえもろもろ国人くにびとことば及び天の使いのことばを語るとも、もし愛なくば鳴るかねや響く鐃鉢にょうはちのごとし。たといれ預言するの力あり、又すべての奥義とすべての学術に達し、又山を移すほどなるすべての信仰ありといえども、もし愛なくば数うるに足らぬものなり。たとえれわがすべての所有を施し、又焼かるるために我身を与うるとも、もし愛なくば我に益なし」との使徒パウロの讃歌は永遠にわたっていと高き響きを伝えつつある。近代詩人ブラウニングもまたこれに和せんと欲して曰う、

「人生には愛のほか何の善もない――愛のほか。
 その他に善と見ゆるものは皆愛より投げられし影に過ぎない。
 愛はそれを飾り、それに価値づける。
 愛を与えよ、ただ愛を求めよ、しかしてその他をなげうて」。

「ただ愛のみ、その他をなげうて」という。真理である。しかしなお足りない。婦人たちの胸に愛の充実はあった。しかしながら彼等の愛する者はすでに墓に呑まれてしまったではないか。死の力の前に彼等の愛はいと憐むべきものではないか。香料また香油という。これをもってらるべき者は墓の中に横たわる冷たきむくろに過ぎない。かくて思うがままりにるとも何かせん。死は何時いつまでもその大いなる手をゆるめない。墓は永久にその呑みし者を放さない。やがて彼等自身もまた同じように葬られねばならぬ。愛はる。しかし墓の外には出ないのである。死がその力を失わざる限り、人生は遂に空である。

婦人たちは進み往いて墓に近づいた。目を挙げて見れば、その前に置かれたる大いなる石はすでにまろばしけてあった。さらに中にと入れば、如何いかにせしか、愛する者の屍体は見当らないのである。思い惑える所へ、輝ける衣を着たる二人の者がかたわらに立ちて、彼等に告げて曰うた「何ぞ死にし者どものうちに生ける者を尋ぬるか。彼はここにいまさず、甦りたまえり」と。葬られし人は今は生ける者であって、すでにそこにはいまさず、墓は空虚であったのである。空虚なる墓!偉大なる発見である。人が始めて葬られし以来誰がかくのごとき事実を発見したか。一度ひとたび呑みたる者は決して再びこれを放さざりし墓が、この時始めて見事にもその呑みたる者を奪い返されたのである。死にし者が永遠に生ける者となりて、陰府よみより凱旋したのである。

婦人たちの愛は美しくあった。しかしながらその香料と香油とは無益であった。死にとらわれたる彼等の人生観はここに初めて恥を負うた。アリマタヤのヨセフの墓は虚しくあったのである。キリストは死に打ち勝ったのである。如何いかなる偉人にこの勝利があったか。キリストとその他の人とのいちじるしき差違はこの点においてある。今より数年以前、我国の某男爵が米国ヒラデルヒヤ市に有名なる実業家ワナメーカー翁を訪問せし時の事であった。男爵は翁に案内せられて、その経営に係わる諸事業を視察し、最後に日曜学校に臨んだ。しかして求められしまま生徒に対して一場の挨拶を述べた。曰く「私は儒教信者であって、キリスト者ではない。しかし孔子もキリストもその精神においては畢竟ひっきょう同一である云々」と。聞き居たるワナメーカーの顔に深き感慨の色が漂うた。彼は男爵の後を襲うてって言うた。「私は儒教に対して深き敬意を表する。しかし儒教とキリスト教とは同一ではない。その間に一つの根本的差別がある。孔子は死して葬られ、しかしてそのまま墓の中に眠って居る。これに反してキリストは一度ひとたび葬られしといえども、三日目の朝に至って甦ったのである。彼の墓は虚しくなったのである。彼は今なお生きつつある。しかり、現に今この堂の中に我等と共にりたもうのである」と。かく言いながらポケットより小形の聖書を取り出し、それを示して附言した「この書がその事を証明する」と。後に男爵が米国を去らんとするに臨み、送別の席上一米人より滞在中の感想を尋ねられしに答えて曰うた「ヒラデルヒヤ市にてワナメーカー翁がキリストの復活を弁護しながらその双頬に熱き涙を流すを見た時ほど感動したことはない」と。

墓は虚しくあった。キリストは甦った。彼の復活は人類の罪と死とに対する彼の勝利を意味する。「キリストは我等の罪のために渡され、我等の義のために甦らされたり」。「彼は死を滅ぼし、福音をもて生命いのちと朽ちざる事とを明らかにしたまえり」。彼の死によって我等の罪は贖われ、彼の復活によって死はすでに力を失ったのである。かくてエルサレム郊外アリマタヤのヨセフの墓が虚しくなった時に、人生そのものを呑める墓が虚しくなったのである。人生のあらゆる悲痛の根源たる罪と死との勢力が廃止せられたのである。今より後キリストにる者は全く罪及び死より解放せられる。墓は虚し。人生の呪いは虚し。キリストの復活はすべての失望の撤去である、永遠的希望の確立である。

二 「我等と共に留まれ」

見よ、この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかりへだたりたるエマオという村に往きつつ、すべて有りし事どもを互いに語り合う。語りかつ論じ合うほどに、イエス自ら近づきて共に往きたもう。されど彼等の目さえぎられてイエスたるを認むることあたわず。イエス彼等に言いたもう「汝等歩みつつ互いに語り合う事は何ぞや」。彼等悲しげなる様にて立ち止まり、その一人なるクレオパと名づくる者答えて言う「汝エルサレムにやどひとりこの頃彼処かしこに起こりし事どもを知らぬか」。イエス言いたもう「如何いかなる事ぞ」。答えて言う「ナザレのイエスの事なり。彼は神とすべての民との前にてわざにもことばにも能力ちからある預言者なりしに、祭司長及び我が司等つかさらは死罪に定めんとてこれを渡し、遂に十字架につけたり。我等はイスラエルを贖うべき者はこの人なりと望みいたり。しかのみならず、この事のありしより今日はや三日目なるが、なお我等のうちのある女たち我等を驚かせり。すなわち彼等朝早く墓に往きたるに、屍体しかばねを見ずして帰り、かつ聖徒たち現われて、イエスは生きたもうと告げたりと言う。我等の朋輩ともがらの数人もまた墓に往きて見れば、まさしく女たちの言いしごとくにして、イエスを見ざりき」。イエス言いたもう「ああ愚かにして預言者たちの語りたるすべての事を信ずるに心鈍き者よ。キリストは必ずこれらの苦難を受けて、その栄光に入るべきならずや」。かくてモーセ及びすべての預言者を始め、おのれについてすべての聖書にしるしたる所を説き示したもう。遂に往く所の村に近づきしに、イエスなお進み往く様なれば、いて止めて言う「我等と共に留まれ。時ゆうべに及びて日もや暮れんとす」。すなわち留まらんとて入りたもう。共に食事の席につきたもう時、パンを取りて祝し、きて与えたまえば、彼等の目開けてイエスなるを認む。しかしてイエス見えずなりたもう。彼等互いに言う「みちにて我らと語り、我らに聖書を説き明かしたまえる時、我等の心、内に燃えしならずや」。(一三~三二)

歴然として目に見るがごとき描写である。聖書中最もドラマチックなる記事の一つはこれである。かかる描写は自己の実験によらずしてはあたわない。ゆえにある学者等はここに記さるる二人の弟子の一人を筆者ルカ彼自身であると推定する。彼の名の特に明記せられざる事もまたこの推定を助ける。いずれにせよ、この記事の真実らしさを疑うことは出来ない。もしある文書の内容の真偽を判定すべき根拠の一つがその書き振りにあるとするならば、この一段のごときはその最もいちじるしき例に属する。

しかしながら記事の真実らしさ如何いかんに拘わらず、復活の事実に対して昔より幾多の反対説が提出せられた。その第一はこれをもって虚妄となすの説である。すなわちイエスの弟子等は自己を窮境より救わんがためことさらに虚偽の風説を流布るふしたのであるという。初代の有名なるキリスト教反対者セルサスがすでにこの種の非難をなしている。その第二は仮死の説である。イエスは十字架にけられしといえどもいまだ真実に死さなかったのである。彼のごとくに磔殺たくさつの刑に処せられし者が最後に息を引き取る迄には通常二日乃至ないし三日を要する。しかるにイエスの場合には僅かに数時間に過ぎない。彼は失神したるまま葬られた。しかしてその葬られし墓は天然岩に切り込まれし穴であって、そこには冷たき空気が通うておった。又香料の強き匂いも漂うておった。これらのものの刺激を受けて、彼はやがて再び意識を回復したのである。しかしてかくのごとき事例は決して珍しき事ではないという。近代神学者シュライエルマヘル等はこの説を主張する。その第三は幻の説である。この説によれば、復活の信仰の起源はヨハネ伝に示さるるごとくマグダラのマリヤの実験にある。しかしてマリヤとは如何いかなる婦人であったか。彼女は七つの悪鬼をい出されたと言わるる強度のヒステリー症婦人であった。彼女の疾病しっぺいいまだ全快しなかったのである。しかしてかくのごとき婦人が最初にイエスの墓を見舞い、彼の幻を見て、これを真実らしく弟子等に吹聴ふいちょうしたのである。しかるに弟子等はおのが師の図らざる横死に遭いて失望落胆し、ただ限りなき慕わしさをもってりし面影をしのびつつあった。かかるところへ伝わりしマリヤの実験は、かわけるまきに飛びし火の粉のごとくあった。火はたちまち燃え拡がった。弟子等のひとりひとりが到る所においてイエスの姿を見るがごとくに感じた。ことに彼等が多年彼と行動を共にしたるガリラヤ地方におもむくに従い、思い出深き環境は今一度ひとたびその中にイエスを立たせて見せずしてはまなかったのである。かくて彼等はしばしば復活のイエスを見た。これ実は彼等自身の主観的現象に過ぎないという。カイムを始め近世の神学者等の解釈は大抵これである。

以上の反対説はいずれもこれを反駁するに難きものではない。なかんずく薄弱なるは虚妄説である。イエスの弟子等は仮にその信仰において如何いかばかり誤っていたとするも、その誠実においては疑うべからざる人々であった。古来人類の良心に最も根深く誠実を植え付けたる者こそ実に彼等であったのである。彼等は恩恵と真理との伝達者であった。彼等は虚偽の風説を流布るふし得べき最後の人々であった。ゆえに自ら復活を信ぜざるバウルすら言うた「弟子等の信仰においてキリストの復活が疑うべからざる事実であった事は歴史がこれを保証する。キリスト教は実にこの信仰を土台としてその上に建設せられたのである」と。仮死の説もまた顧るに足りない。十字架の極刑に処せられ、かつそのわきをすら槍にて突き破られしイエスが、たとえ再び意識を回復したればとて、直ちに諸方に歩を運びてその姿を現わし得べくもない。すべて復活後における彼の消息に、死に損いし人の憐れさは一つも無い。勝利である、活動である、生命の充溢である。しかのみならずもしこの説のごとくならば、彼の最後は如何いかん。彼は人知れずひそかなる所に隠れてその余生を送ったのであるか。しかして彼自身がかかる敗残の余生を送りつつある間に、彼の復活の信仰がロマ帝国を動かしたのであるか。誠に解しがたき奇観である。最後に幻の説もまた成り立たない。幻を事実と見ていたずらに狂奔するは頭脳又は精神の健全なる人の所為ではない。しかるに復活の宣伝者パウロのごときヨハネのごとき、彼等よりも勝りて健全なる頭脳又は精神の所有者は果たして幾人あるであろうか。今に至るまで世界の最も優秀なる人物を動かし来たれるキリスト教が、その根柢を探れば、一人のヒステリー婦人の幻の上に立つのであるとは、常識ある者の受け取り得べき話であろうか。かつまたこの説による時は、イエスの屍体の行方を説明することが出来ない。

かくのごとくに復活反対説はこれを精査して見ればいずれも薄弱なるものに過ぎない。復活の記事の確実さは一般歴史の記事と異ならない。歴史的事実としてキリストの復活を否定するはこれを肯定するよりも遥かに困難である。

しかしながら頭と心とは別個の世界に属する。頭は理窟をもってこれを説得することが出来る。心は出来ない。しかして信仰は心の事であって頭の事ではない。如何いかなる場合にも理窟をもって信仰を産み出すは絶対に不可能である。あらゆる確実なる論理をもってキリストの復活を弁証せよ、しかるともなお一人の霊魂をしてこれを信受せしむるには足りないのである。信ぜざる心の前に、理窟は遂に何の権威にも値しない。

近代人は倫理的である。しかし宗教的でない。人が人に対してなすべき事を彼等は重んずる、しかし人が人に対してなし得べきより以上の事を彼等は信じない。すべて神秘的なる又は超自然的なる事実の前に彼等は全く盲目である。罪の贖いといい復活というがごとき、みな近代人の信ずるあたわざる領域に属する。

しかしながらかくのごときは必ずしも近代人に限らない。ルカ伝のこの記事に現わるる二人の弟子が又そうであった。彼等がエルサレムよりエマオヘの途上互いに語りかつ論じ合いし問題は何であったか。疑いもなくキリストの死とその復活とであった。彼等はこの大いなる二個の問題の解決に苦しんだのである。何となれば彼等もまた一種の倫理主義者もしくは現実主義者であったからである。彼等もまたイエスの救い主たる事はこれを認めておった。しかしながらそれはイエスが「わざにもことばにも力ある預言者」として、彼等の品性を感化し彼等の境遇を改善すべき人としての意味に過ぎなかった。彼等に取って救いとはそれ以上の事ではなかったのである。彼等の前に神秘もなければ奇跡もない。なにゆえに救い主イエスが最も憐むべき屈辱の最後を遂げたのであるか。また三日目に彼は復活して、その墓はすでに虚しくあるとの噂は果たして事実であり得るか。

救い主の死と復活、彼等はこれを解し得なかった。しかしながら事は明らかに聖書の預言する所であった。旧約もまた新約と同じく、そのすべての記事は救い主キリストに向かって集中する。しかしてキリストの事とし言えば、苦難にあらずんば栄光である。例えばイザヤ書第五十三章、詩篇第二十二篇、また過越すぎこしこひつじ、燔祭の礼物等にキリストの受くべき苦難の最も顕著なる預言がある。また彼の受くべき栄光についてはすべての預言書と詩篇とにち満ちている。苦難と栄光である。救いはこの二つの事実によってのみ成就する。単にわざことばとに力ある者が我等の品性を感化し又は境遇を改善する事ではない。人生にはある深刻なる問題があって、それを解決せんがために、是非とも偉大なる犠牲者を必要とするのである。また人類の希望は限りなき栄光にあって、これを実現せんがために必ず貴き栄光の主が存在せねばならぬのである。感化とか改善とか教育とかによって救いは成らない。犠牲と創造である、苦難と栄光である。しかしてこれを体現する者がすなわちイエス・キリストであるとは、聖書の終始一貫して高調する真理である。

救い主の苦難と栄光、イエス・キリストの死と復活、聖書は日のごとく明らかにこれを教える。しかしながら信ずる心の鈍き者の前に、如何いかなる明らかなる文字も封ぜられたる謎に過ぎない。二人の弟子等は全くこれを解し得なかった。ゆえにイエスは責めて言うた「ああ愚かにして預言者たちの語りたるすべての事を信ずるに心鈍き者よ」と。かくて彼はモーセ及びすべての預言者を始めおのれについてすべての聖書にしるしたる所を説き示したという。すなわち創世記よりマラキ書に至るまでの各書につき、その中に現わるるキリストの苦難と栄光とについて、往く往く彼等の前に註解を施したもうたのである。如何いかに偉大なる註解であったであろう。もとよりその内容は弟子等の熟知せる聖書の真理にほかならなかった。しかり、同じ聖書である、すでに幾度いくたびか読み慣れたる聖書である。しかるにも拘わらず、そのふるき一言一句がこの時に限りて全く新しき響きをもって彼等に訴えたのである。彼等自ら後に語りて言うた「みちにて我等と語り、我等に聖書を説き明したまえる時、我等の心、内に燃えしならずや」と。聖書のことばはこの時彼等の前に怪しくも輝いて、彼等の心は内に燃え立ったのである。信じ難かりし記事がこの時始めてそのままに彼等の心の深き所に反響を見出したのである。生命いのちことばの鼓動が彼等の心臓に伝わったのである。かくて今や聖書は無条件にこれを信受すべきものと成った。キリストの死も復活も最早もはや疑いの余地なきものと成った。救い主は人生の毒物を根本的に処分せんがために必ず苦難を受けねばならぬ。また人と天然とに対して大いなる栄光をせんがために必ずまず自ら栄光を受けねばならぬ。今ナザレのイエスは十字架につけられたという、しかりアーメンである。また彼は復活したという、ひとしくアーメンである。たとえ頭脳においてはいまだ明確なる説明を得ざるにもせよ、心は内に燃えてことごとくこれを信ぜざるを得ない。

誠に聖書のことばを我がものたらしむる所以はいわゆる研究ではない。古今の註解書を読破すること幾百巻、なおその上にあらゆる弁証論に精通するとも、信ぜられぬものは矢張やはり信ぜられない。しかしながら一度ひとたび我等の心の戸を開きて主イエス彼自身を迎えんか、しかして彼の口より聖書のことばを示されんか、すなわち我等の心は内に燃ゆるのである。その一言一句が我等自身の内的実験と化するのである。復活を信ぜざる人よ、しばらく自己の小さき学問や常識に頼るをやめて、砕けたる心をもってキリストを受けよ。しからば復活のキリスト彼自身との間に親しき交通は始まりて、復活は疑うべからざる実験的真理と成るであろう。

二人の弟子はいまだ明白に彼の何人たるかを意識しないながらも、しきりに心引かれつつ目指すエマオの村に辿り着いた。しかしてイエスのなお進み往く様なるを見て、彼等は強いて留めて言うた「我等と共に留まれ。時ゆうべに及びて日もや暮れんとす」と。時ゆうべに及び、日はや暮れんとする。イエス我等と共に留まらずして可なるべきか。彼等二人は強いて彼を留まらしめた。しかして共に食事の席についた。しかしてイエスより祝福を受け、またその目を開かれて、新しきさいわいを経験した。

前世紀の半頃、英国の南海岸ブリックスハムの町にヘンリー・フランシス・ライトという聖公会の牧師があった。ブリックスハムは一六八八年にオレンジ公ウィリアムが始めて英国に上陸したる地点として有名である。この地に前後二十五年間のさいわいなる働きを続けたる後、ライトは恐るべき結核病にかかった。彼の世を去る時は遠からじと見えた。医者は大陸に転地せんことを彼に勧めた。しかし彼は今一度ひとたび己が牧する人々に向かって語らずしてはむことが出来なかった。この最後の説教は涙をもってなされた。しかしてその日の午後、幾時間を休養に過したる後、彼は覚束おぼつかなくもただひとりでて海岸を散歩した。それは日頃彼の最も愛する場所であった。静かにさまよいながら、彼は大いなるさびしみの身に迫ると共に、主を慕うの心にえざるを覚えた。その心はやがて一つの讃美歌と成って彼の筆に上った。

"Abide with me, fast falls the eventide,
The darkness deepens, Lord with me abide,
When other helpers fail and comforts flee,
Help of the helpless, O abide with me."

日本語讃美歌に「日暮れて四方よもは暗く、わがたまはいとさびし。よるべなき身のたよる、主よ共に宿りませ云々」と訳せられたるものこれである。言う迄もなくエマオ村における二人の弟子の語を取りしものであって、深き慰めの歌である。

我等の生涯に幾度いくたびか寂しき夕が臨む。幾度いくたびか日が暮れんとする。その時我等を慰むるものは何か。詩か、音楽か、事業か、人の愛か。確かにこれらのものの中に自ら経験せざれば知るあたわざる慰めがある。しかしながらある時これらすべてのものをもってしてなお慰むべからざる深きなやみが我等を襲うのである。かかる折に我等のたましいは人生の寂寞せきばくを思うておののく。しかしてただキリスト我等と共に留まるによってのみこれにえ得るのである。誠にライトの歌いし通り、他の一切の助けが逃げ去る時キリスト――復活のキリストのみが我等の信頼すべき慰めである。れ我等と共にいまして、すべての寂しみは癒され、限りなき祝福がこれに代わる。キリストの復活はただに我等の希望の根柢であるばかりでない、又日々の生活の力である、ことにさびしき夕における唯一の安慰である。

三 新しき創造

イースター(復活節)は素々もともとキリスト教に関係なき極めて古き欧洲の祭日であった。その目的は新春の到来を祝賀するにあった。落寞たる冬枯の世界は去りて万物とみに新装を着くる春分の頃、人の歓喜が溢れて一個の祭事に現われたのである。しかるに初代キリスト教会はこの祭日を採用してキリスト復活の記念日となしてしまった。爾来じらいイースターは必ず日曜日に当る。けだしキリストの復活が一週の初めの日に起こったからである。かくて始めは単に自然の新しき力を祝うための祭日であったものが、今はキリスト教にとりて最も意味深き祭日中の祭日と成った。

イースターの変更とその精神を同じうして、それよりもなお早く行われたるは安息日の変更である。安息日の聖守はモーセの十誠に定められた。言う迄もなく天地の創造を記念せんがためであった。神は六日をもって天地と人とを創造し、しかして第七日に自ら安息したもうたのである。ゆえにユダヤ人の安息日は一週中の第七日すなわち土曜日であった。この日に彼等はすぐる六日の労働より休みて静かに会堂につらなり共に聖書を読んだ。しかるにキリスト教の起るや、いつしか安息日は日曜日に変じてしまったのである。何故か。キリストの復活がその日に実現したからである。キリスト者は第七日安息の代わりに、毎週初めの日を「主の日」と称して、この日に復活を記念する。かくて始めには人がこの世の仕事に疲れて休養を欲する頃、天地創造の完結を記念して安息する日であったものが、後にはこの世の仕事を始めんとしてさらに新しき力を要する時に、キリストの復活を記念して特に彼と親しき交通に入る日と変わったのである。

イースターの採用と安息日の変更――前者は新春の到来を祝う趣旨より、後者は天地の創造を記念する趣旨より、共にキリストの復活を記念する趣旨に変わってしまった。この注意すべき事実は何を意味するか。キリストの復活は真実の意義における新春の到来であるからである、又それは天地の創造よりも勝る新しき創造であるからである。

誠に新しき創造である。ヨセフの墓の中に葬られしイエスの屍が新しき栄光を帯びて再び出で来たりし時に、宇宙の歴史は天地創造以来の第二の紀元に入ったのである。キリストの復活という一つの事実の中に含まるる深き意義は、これをふるき創造に対する第二の創造の開始と見るによってのみ適当に了解することが出来る。

如何いかにしてキリストの復活にさしも大いなる意義があるか。まずふるき創造の産物たるアダムと復活のキリストとを対照して見よ。その著しき差別を最も簡潔に約説したるはパウロの一語である。曰く「しるして始めの人アダムは生ける者となれりとあるがごとし。しかして終わりのアダムは生命いのちを与うる霊となれり」と(前コリント一五の四五)。始めの人アダムの創造を伝えて創世記記者は「人すなわち生ける者となりぬ」というた(創世二の七)。「終わりのアダムは生命いのちを与うる霊となれり」とはパウロが復活のキリストをこれに対照せしめて附言したのである。「生ける者」とあるは「生ける血気」と改訳せられねばならぬ。「生ける血気」と「生命いのちを与うる霊」とである。ふるき天地と共に人が始めて創造せられたる時に、彼は「生ける血気」であったに対し、キリストが復活したる時に彼は「生命いのちを与うる霊」と成ったのであるという。

パウロがここに血気といい霊というは、その前後句の関係の示すがごとく、主として身体に関する差別を言い表わすものである。アダムと復活のキリストとの対照はずその身体においてあった。アダムは血気の体を備うる者であった。しかるにキリストは復活して霊の体を備うるものと成ったのである。血気の体とは何か。我等各自の現在所有するがごとき肉体である。我等の内的生命を営むための機関としてそれははなはだ不完全なるものに過ぎない。これに反して霊の体とは何か。肉体と異なりたる組織を有する完全なる身体である、霊のはたらきに遺憾なく応じ得る機関である。例えば血気の体は不完全なる楽器のごとく音楽家の天才にうあたわざるに反し、霊の体は彼の名曲を思うがままに現わし得る優秀なる楽器のごときである。

しかしてアダムと復活のキリストとにおいて見るこの対照は決して身体のみの問題ではない。身体は機関である。機関の差違は働きの差違を意味する。血気の体を備えたるアダムは単に「生ける」者たるに過ぎなかった。すなわち神より与えられたる生命をその中に包むに過ぎなかった。しかるに霊の体を備えたる復活のキリストはただに自ら生ける者たるのみならず、また「生命いのちを与うる」者と成ったのである。すなわち他の人に対して新しき生命を自由に賦与し得る者と成ったのである。彼がなおこの世にりて我等と同じ不完全なる肉体を備えし間、彼はその貴き生活によりて感化を人に与うることは出来た。しかしいまだ生命を与うることは出来なかったのである。生命は霊を通して与えられる。しかしてキリストが復活の生活に入るまで、彼の霊はいまだ十分なる働きをなすことが出来なかったのである。

血気の体より霊の体へ、生ける者より生命いのちを与うる者へ、それは確かに驚くべき進歩である。天地創造の際に見るあたわざりしものがここに始めて出現したのである。キリストの復活が新しき創造たる所以ゆえんはここにある。

すべての偉人はみな死して葬られ、しかして今なお墓の中に眠っている。ひとりキリストのみは復活した。彼は今も生ける者である。いなただに生ける者であるばかりでない、さらに生命いのちを与うる者である。キリスト復活の証明は現に生ける彼との交通の実験においてあるばかりでない、さらに彼より新しき生命いのちを受くる新生の実験こそその最も有力なるものである。ある懐疑論者より「キリストが生きているとの証拠は何処にあるか」と問われて、「現に今朝も私は一時間ほど彼と話した」と答えし老キリスト者の賢きことばを、我等はさらに新生の実験に結び付けんと欲する。ナザレのイエス一度ひとたび世を去りて以来今に至るまで千九百年、この間に幾千万のたましいが彼を信じては新たに生まれ変わった。パウロ又はアウガスチンの経験のごときはその最も代表的なるものである。自ら完全なる義人をもって任じたりしタルソの若きパリサイ人は、後には罪人のかしらたる自覚に入り、きのうまで自ら恐るべき迫害を加えたる福音のためにその全生命をささぐるに至った。しかして遂に異邦ギリシヤ、ロマの地にあまねく愛の福音を植え付けたるものは実に彼である。又年若くして母の断えざる涙の種たりしヌミヂヤの享楽の子は、後に貴き聖徒と化して今に至るまで全世界の人心に最大の感化を及ぼしつつある。すべてこれらの変化は尋常の経験ではない。単に古き生命がその力を増し加えたるだけの変化ではない。確かに彼等の生来持ち合わせざりし新しきいのちが彼等の胸に入り込んだのである。同じ経験を多くの名もなき男女が繰り返した。誠にキリストの迎えらるる所に何がなくとも生まれ変わりだけはある。しかしてこの一つの事実だけは他の何ものをもっても実現するあたわざる奇跡である。キリストのみが生命いのちを与うる者である。かくのごとき者として永遠に彼は生きつつある。

彼の復活を信ずるといい信じないという、事は何か信仰箇条の問題であるかのように聞こえて、実はそうでない。およそこの問題のごとく実際的なるはない。何となればこれ生命いのちを与うる者を受くるか否かの問題であるからである。復活のキリストを信ぜずして彼と親しき交通に入り得るはずがない。何故に今の多くのいわゆるキリスト者に生命いのちが無いのであるか。何故に主の名を唱えながらこの世に倣うのであるか。何故に誠実にして温かき愛のこころが欠けているのであるか。答えて曰く、復活のキリストの現在を実感しないからである。もし生けるキリスト今現に我が前に立ちたもう事をえず実感するならば、多くのキリスト者の生活はその調子を一変せざるを得ない。いわんや親しく彼と交わり、その霊をもってみたされ、豊かなる生命いのちの供給にあずかるにおいてをや。信仰生活とは畢竟ひっきょうこの生けるキリストとの結合及び交通の経験にほかならない。ここに我等の活溌なるいのちがあり、溢るる喜びがあり、輝く望みがあるのである。復活のキリストを信ぜずして内的生命の充実はこれを望むべくもない。かかる人のたましいは寂しさに慄えている。しかして生ける主の代わりに必ず何か他の者を抱かずしてはまない。かくて彼は生けるキリストならぬいかがわしきものを抱きながら、キリスト者としての高き地位にすわらねばならぬ。これ彼等の生活に幾多の見苦しき矛盾を生ずる所以ゆえんである。現代キリスト者の病根の一つは復活のキリストに結び付かざる所にある。

イエスまさに世を去らんとするに先だち、その弟子らに言うた「しばらくせば世我を見ることなし。されど汝等は我を見る。我生くれば汝等も生きん。その日に汝等れ我が父におり、汝等我におり、れ汝等におることを知るべし」と(ヨハネ一四の一九、二〇)。我等彼におり、れ我等におるという最も親しき関係がキリスト者の立場でなければならぬ。しかしてこの関係は霊の働きの自由なる復活のキリストを予想する。もししからずんば、それは生ける交通ではなくして、ただ過去の思い出たるに過ぎない。もちろんかくのごとくにして我等は歴史上の多くの偉人を追憶することが出来る。彼等の偉大なる又は崇高なる人格を回想し思慕して、その中に新しき慰めと励ましとを感得することが出来る。この意味において我等は彼等と結び付くことが出来る。しかしながらすべてこれらの経験はキリスト者の信仰的経験と全然性質を異にする。キリストとの交通、生ける人格者と生ける人格者との間の相互的感応である。従ってそこにる個人的の反響がある。キリスト者が祈る時、彼はただ追憶のこころに独語するのではない、ある偉大なる生ける人格者とかおを合わせて語るのである。十四世紀の腐敗の暗雲中より明星の如くに耀かがやきしシーナのカザリンの霊的実験のごときは最もよくその辺の消息を表わしている。彼女はかつて寂しき所に退き、神の現在についてのさらに深きよろこびを求めて、祈りながら三日を過した。しかるにかえって悪しき思いのみ群がり起こりて彼女をたした。暗黒のすべての勢力が彼女のたましいを襲うかと見えた。勝利の見込みは絶えんとした。彼女はただ恐怖にのみ圧せられた。しかるにやがて大いなる光明の上よりくだるありて、天の輝きをもて彼女のひざまづける場所をみたすがごとくに感ぜられた。悪霊は退き、主イエス代わりて彼女と共に語った。カザリン問う「主よ、私の心があのように痛みました時、あなたは何処においでになりましたか」。主答う「私はお前の心の中におった」。カザリン答う「ああ主よ、あなたは永遠の真理にていましたまいます。あなたの聖言の前に私はひれ伏します。しかし私の心があのようないやらしい思いをもってみたされておりました時、あなたがそこにいましたもうたとは、どうして信ずることが出来ましょうか」。主尋ねて「それらの思いはお前に取って喜びであったか苦しみであったか」。カザリン答えて「非常な苦しみと悲しみでありました」。主言いたもう「お前のその歎き悲しみがお前の心の中に私のおった証拠である。私の現在がそれらの思いをお前に取ってえがたきものたらしめたのである。お前はそれをい払おうと努めた。そして遂に果たさなかったから、お前のたましいは悲しみをもってくずおれた。しかし戦いのために適当な期間として私の定めた時が経過した時、私は私の光を送り出した。そして陰府よみの影はこれに逆らうことが出来ないから退散してしまったのである」と。かくのごとき経験は明らかにただ追憶や想像ではない。千数百年前に死してそのままなる人のことばや行いを如何いかばかり熱心に回顧したればとて、かくもあざやかなる人格的交通を実現し得るものではない。現に生きて我等を愛し、我等のいのちをいよいよ豊かならしむる復活のキリストに迫り、彼の声を聞き彼の顔を仰ぐにあらざればあたわざる実験である。

我等の心をこの世の卑しきものより確実に離れしめ、栄光より栄光に進ましむるものは何か。ただ栄光の主との親しき交通あるのみ。ドイツの彫刻家ダンネッケルがキリストの風貌を現わさんと欲して力作八年、遂にようやく所期のものを完成した。それは誠に優れたる傑作であった。愛と悲しみとの表情は遺憾なく現われた。これを見る者おおむね熟視多時、その目に涙を浮かべたという。しかるにややありて彼はまた女神ヴイナスの像を彫まんことをある人より要求せられた。ダンネッケルすなわち答えて曰うた「かくも長らくキリストのかおを見つめていた私が、今さら異教の女神などに注意を向け得ると思いますか」と。単純なる彫刻家の一語に言いがたく深き意味がある。生命いのちを与うる栄光の主を見つむるによってのみ、我等の注意はこの世の誘惑より離れ得るのである。

キリストの復活はそれ自身が新しき創造であったばかりでない、又実に新しき創造の開始であった。肉なるものがことごとく霊化する事、これ復活である。しかしてこれ新しき創造である。イエスが生ける者より生命いのちを与うる者に変化したるは、彼の「血気の体」が「霊の体」に化せられたからである。しかしてかく血気に属するものが霊に属するものと成る事に創造の進歩があるとするならば、すべて肉なるもの又は自然なるものが何時いつか遂にまた霊化せられねばならぬ。すべて土に属するものが何時いつか遂にまた天に属するものと成らねばならぬ。キリストの復活において実現したる新創造の原理は人生と宇宙との全部にわたって実現せねばならぬ。

「我等土に属する者の形をてるがごとく、天に属する者の形をもつべし」とパウロは言うた。第一のアダムが血気の体を備えて土に属する者の形を有したるがゆえに、彼の子孫なる我等もまた同じ形をつ。同様に復活のキリストが霊の体を備えて天に属する者の形を有するがゆえに、彼を信ずる我等もまた同じ形をつに至るであろうという。かくて復活はただにナザレのイエスの過去の経験であったばかりでない、又我等自身の未来の経験である。彼の肉が霊化せられたと同様に、我等の肉もまた何時いつか霊化せらるるのである。新創造の第二の階梯はキリストを信ずるすべての者の復活にある。

肉の霊化という、信じがたき事のごとくにして実はそうでない。神の霊の感化が我等の霊魂のみならず身体にまで行きわたる事にほかならない。人が霊魂と共に身体をもって生活するものである以上、救いもまた必ずや身体にまで及ばねばならぬ。しかして又実に及び得るのである。現在の不完全なる肉体においてすら我等はある程度までその事の実現するを見る。キリストの愛をもってみたさるる時、人の風貌に著るしき変化がある。その眼はこの世ならぬ光をもって輝き、その口は天的の悦びを漂わしめる。砕けたるたましいをもって父の前に熱心に祈る時、その声は自ら聖き調子を帯びるのである。同じように、聖霊全く我等をたして聖化作用を完成する時には、必ずそれにふさわしき完全なる霊体に復活せしめらるるであろう。しかして我等の内なる人も外なる人も共にキリストに似たる者となるであろう。

今より数百年前まで地の一角に「嵐の岬」(Cape of Storms)と呼ばれし難所があった。その岬をまわりし船にして再び生還したるものは無かった。しかるにある選ばれたる航海者が自ら犠牲となって再びそこを通過した。彼は不思議にも無事に荒浪を乗り超えて、遂に東洋の彼岸に上陸した。その時以来嵐の岬は恐怖の場所より希望の地にと変じたのである。ゆえに人は最早もはやこれを嵐の岬と呼ばずして、かえって「喜望峯」(Cape of Good Hope)と呼ぶ。かつては死が我等に取って恐るべき嵐の岬であった。しかるにキリスト一度ひとたびその荒浪を乗り超えてさいわいなる復活の彼岸に上陸して以来、死もまた我等の喜望峯と化したのである。今や死の彼方に我等自身のさいわいなる希望がある。

神の霊の感化が物にまで及ぶ事、ここに新しき創造の原理がある。しかしてこの原理はず第一にキリストの復活において現われた。第二にそれはすべて彼に属する者の復活において現わるるであろう。しかして第三にそれは又天然万物の復興において現われねばならぬ。ひとり我等の体のみならず、およそ物という物が遂にことごとく霊化せられねばならぬ。およそ土に属するものが遂にことごとく天に属するものと成らねばならぬ。かくて宇宙の全体が貴き栄光の状態に化せらるるまで、神の創造はその進歩をめない。

パウロの言うた通り、天然万物は今は呪いの中にあるのである。すべての造られたる物に欠陥がある。地とそれにつる物とがみな解放を求めて歎いている。彼等の歎きは望みなきいたずらなるものであるか。いな、彼等もまた遂に必ず栄光をせらるるであろう。山と岡とは声を放ちて歌い、野にある樹はみな手をつに至るであろう。荒野と湿うるおいなき地とは楽しみ、沙漠は喜びてサフランのごとくに咲き輝くであろう。狼は小羊と共に宿り、豹は小山羊と共に臥すであろう。しかして平和をもってつる新天新地が実現するであろう。この偉大なる新創造はキリストの復活においてすでに開始せられたのである。創造者のわざは進みつつある。その完成に向かって日々に進みつつある。

キリスト教はいたずらに罪を高調して人類の心を萎縮せしめるなどと言う者は誰であるか。キリストの復活をもって始まりし新創造の未来を思え。何処にかくのごとき雄大なる希望があるか。天の父がその愛する者に与えんと欲する恩恵は僅かにさいわいなる家庭や改造せられたる社会などをもって終るべくもない。人類の復活である、万物の復活である、新天新地の創造である。キリスト者の希望はここにある。これより以下のものをもって彼等は満足することが出来ない。しかしてキリストの復活が実にその預言である。保証である。