第六 沙洲を超えて――死後の生活

藤井武

一 「今日我と共にパラダイスに」

日没、明星、
そして私を呼ぶ一つの明らかな声!
どうか沙洲の歎きがないように、
私が海へ漕ぎ出る時。

しかしぐんぐん動く潮も眠っているように見えるのだ、
響きや泡を立てるには余りにちているから、
限りなき深みから出て来たものが
また家に帰る時には。

薄明、晩鐘、
そしてその後にみ!
どうか告別の悲しみがないように、
私が乗り込む時。

なぜなら時や場所などという私たちの小河から
さし汐が私を遠く連れて往くにしても
私は私の水先案内にまのあたりうことを望んでいるのだもの、
私が沙洲を超えるとすぐに。

有名なるテニスン辞世の詩だ。何という香りたかき詩!

詩人という者はよく自分だけの想像をうたうものだ。しかしテニスンはここにただ線香花火のような、消えて跡なき空想を胸裏に描いて、それを文字に移して見ただけなんだろうか。たとえ数多き彼の詩の中にはそういうたぐいのものもあるいは絶無でないにしても、少なくともこの短詩だけはちがう。これはただの「詩人」の詩じゃない。歌ごころの無い自分にすら、ここに現われている思想は、一つの確かな実験的真理として、無条件に共鳴を促すではないか。ほかの詩は知らぬが、「沙洲を超えて」はたしかに霊魂の実験の声だ。それはテニスンのものであると共に又私のものだ。私自身の告白だ、讃美だ、祈りだ。

人生の日没!厳粛な時だ。薄れ往く空にきらりと、光ゆかしき宵の明星。そして今!今明らかに私の名を呼ぶ声が聞こえる。ああ召したもうのだ。いよいよ時が来たのだ。往こう。往かなくてはならぬ。名残りは惜しい。しかし嬉しい。未知の世界がもう見え始めた、大きな、厳粛な、そして楽しい世界。かつて憶えないこの幅広い経験のために、自分の胸は躍るばかり。

何しろそれはいたずらに歎かれるには余りに貴い経験だ。沙洲に立って泣かれるだけでは、胸躍るこの船出にとてもふさわしくない。私は何処へ往くのか、どうして往くのか。私を愛する人々よ、どうかそれを知って貰いたい。

今私は眠りにつくのか。そうだ、眠りだ。すべて深いもの、ちているものは、眠っているように見えるのだ。小川のせせらぎのように響きや泡を立てないからだ。あの満々たる潮はどうだ。大きな水の世界が一面にぐっすり寝入っているかのよう。しかし実はその力強い動きかた!ぐんぐんと何物の抵抗をも許さぬ強い強い動きかた!

限りなき深みから出て来たものが、また家に帰る時にはいつもこうなんだ。眠るのだ、響きや泡を立てなくなるのだ、それだけ深い存在の状態に入るのだ、目ざましい動き方だ。

何と言っても、もちろん大いなるさびしみを打ち消す訳にはゆかない。薄明!晩鐘!そしてその後から全世界を包もうとする暗黒!ああ、たましいがおののく。

しかし、それにも拘わらず、やっぱり自分は悲しんで貰いたくない、今乗船の間際まぎわに。それはお別れには違いないが、いわゆる告別の悲しみなるものは、何としても自分の場合にはふさわないのだ。

なるほど私は今さし潮にひかれて、時とか場所とかに限られ過ぎているこの小流れから、測り知られぬ大洋の沖へと、遠く遠く連れて往かれるのだろう。が、しかしその私の望みの鮮やかさ、楽しさ!私は今私の水先案内――誰よりも慕わしい彼――に、まのあたりおうとしているのではないか。しかもすぐそこで、私が沙洲を超えるが早いかすぐそこで。

何という明るい経験だろう。何という望みにちた船出だろう。これがあの黒い「死」という文字をもって代表される事実なんだろうか。不思議だが、しかしそうにも違いはない。

昔のユダヤの詩人が「たとえれ死のかげの谷を歩むともわざわいを恐れじ。なんじ我と共にいませばなり」と歌うた心もちも、よく似ている。山地の詩人は海国のそれのように、海といわないで谷と言った。そして海の水先案内はすなわち谷の牧者だ。彼が共にいますから、わざわいわざわいでなくなるのだ。

しかし死のうたとして、テニスンの声の方がダビデのよりも遥かに高調であることを疑うことは出来ない。それはなぜか。けだし旧約時代に死の国の光景はなおはなはだ不十分にしか啓示せられなかったからだ。だから旧約の死観にはいつでもある暗さが附きまとうている。新約に入って明らかにせられた多くの真理のうちで、最もさいわいなものの一つは実にこの問題だ。イエスは死の前に垂れているとばりを高く掲げてくれた。使徒らは沙洲の彼方なる未知の大海の光景を見事にスケッチして我等にのこしてくれた。

新約が死について語るところは極めて少ない。それはもうほんの数箇所に過ぎない。しかしその言葉数の少なさに反して、その力の強さ!イエスも使徒等も天国の福音を伝え復活の嘉信を宣ぶるに急であって、死の問題はほとんどこれを忘却したかのように見えた。実際まれなる例外の場合のほか、彼等は死を主題としては語らなかった。それでもなお話題が一たびここに触れる時には、何という高い調子で彼等は語ったろう。沙洲の彼方を望む毎に、何かしら言いがたき光耀こうようを彼等は胸に感じたようだ。そしてその言い表わしはいつも詩に近い形を取った、いわばこの問題は散漫な叙述にはえられぬと言った風に。

ずこの問題に大いなる光を投げかけたものは、十字架の上からのイエスの叫びであった。短いけれども実にうるわしい一言。

れ誠に汝に告ぐ、今日、なんじは我と共に、パラダイスに在るべし。(ルカ二三の四三)

彼と一緒に十字架にけられた二人の悪人の中のひとりが、今一人の者のイエスをそしるのを聞いて、「なんじ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。我らはなしし事の報いを受くるなれば当然なり。されどこの人は何の不善ふぜんをもなさざりき」と彼を制したあとで、イエスに向かって願うて言うた。「イエスよ聖国みくにりたもう時、我を憶えたまえ」と。そしてこの願いに対して、イエスの発せられた答が右の一言である。

考えて見れば珍らしい会話だ。一緒に十字架にうちつけられて、非常な苦痛を忍びながら、刻々に迫って来る死を待つふたり、しかも一方は盗賊か何か、他方は聖なる神の子だ。お互いに今まで少しもり合いの間柄ではなかった。何の縁故もない、そして距離のはなはだ遠い二つのたましいが、偶然にも、この稀有なる機会に、最も真剣な心もちでもって手を握り合ったのだ。

悪人の願いのいじらしさ。彼は今に至るまでどんな悪業をして来たにもせよ、十字架の上における彼の心は、砕けに砕けたものであった。彼はかつて直接にか間接にかイエスの天国の福音について聞いておったと見える。もちろんただ聞いただけでそれを顧みはしなかった。しかるに今始めて人生の厳粛さに直面して、彼の内側に急激なる革命が実現したのだ。彼の霊魂は今しきりに天国慕わしさの渇きにあえぐのであった。すべての弟子たちさえ棄てたイエスを、彼は今はばからず救い主として仰いだ。そしてイエスが聖国みくにをもって再臨せられる日に、彼に忘れ去られて復活の恵みより漏れることのないようにと、いじらしくも最後の願いを彼に打ち明けたのである。

思わぬ時に、この失われたるたましいの純なる叫びを聴いて、神の子の心は悦びをもってみたされた。彼は多分十字架の上より慰藉いしゃに富みたるその顔を隣の十字架に向けて、励ますように力強く答えた。

「ほんとうに私はお前に言う、今日、お前は私と一緒に、パラダイスにいるだろう!」

「ほんとうに私はお前に言う」、この言葉が前置きになる時、問題が特別に重いものでないことは無かった。それは実にイエスが心をこめての発言であった。

「今日」、何時いつか分らぬ遠き未来の彼が再臨の日ではない、今日ととなうるうちに。すでに中天まで上った太陽がまだ西の海に没しないうちに。そして、磔殺たくさつされる者は自然にまかして置けば通常その死までに数十時間を経過するのだが、この日は特別に安息日の前日だったから、ユダヤ人等が日の暮れるのを待たずに囚徒らのすねを折って最期を早める事を、イエスは恐らく予知しておられたのだろう。だから「今日」と言えば、つまり「お前が息絶えるや否や即刻に」という意味にほかならない。テニスンの言葉をもっていい換えれば、「お前が砂洲を超えるとすぐに」だ。「お前は私と一緒に……いるだろう」。ただ「憶える」ぐらいではない、一緒にいるのだ。一緒に暮らすのだ。すべての生活を共にするのだ。

「お前と一緒に」、愛する者からこの言葉を聴くほど喜ばしい経験があるだろうか。人生最も願わしきは、所詮、聖き愛の偕在ということだ。その価値はまさに絶対的だ。これがある時に一切がある。これが欠乏する時に一切が欠乏する。死―別離―孤独―えがたき寂寥。誰でもこういう風に連想する。なぜ死が辛いのか。愛の偕在が失われるからだ。この一事に他の何ものをもっても償うことの出来ない損失があるからだ。く者ものこされる者も、この一つの傷のために限りなく痛むのだ。

しかるに逝かんとする盗賊はかつて一度ひとたび明白にイエスの口から聴いた、「今日、お前と一緒に……いるだろう」と。イエスは己に信頼する者を如何いかなる場合にもて置かない。「れ汝らをのこして孤児みなしごとはせず」と他の場合に彼は言うた。もしこの約束が空しいものでないなら、それの実現を最も痛切に要求するのは、死の国においてではないだろうか、その寂しき日に孤児みなしごにせられるくらいなら、他の場合のめぐみも何で数うるに足ろうか。果たして彼は再び、彼に信頼するすべての者を代表せしめて、盗賊に対して最後の約束を与えた。死の国において彼は決して我等をひとり寂しくて置かない。そこへ我等が移るとすぐ、我等は彼の輝いた顔を見い出すのだ。そしていつも彼と一緒にいることが出来るのだ。ほんとうにテニスンのうたった通り「さし潮が私を遠く連れて往くにしても、私は私の水先案内にまのあたりうことが出来るのだ、私が沙洲を超えるとすぐに」。

「パラダイスに」。未知の死の国を思うて、誰がそのわびしさに心を暗くしないものがあろうか。旧約の聖徒等すら言うた、「この地は暗くして晦冥やみに等しく、死の蔭にして区分わいだめなし。かしこにては光明ひかり黒暗くらやみの如し」と(ヨブ一〇の二二)。彼等はまたこれを「幽寂おとなきの地」(詩九四の一七)、「忘失わすれの国」(詩八八の一二)などと呼んだ。そこではあらゆる歓楽はやみ、希望は失われ、歌は絶えると想像せられる。「うじなんじの下にしかれ、蚯蚓みみずなんじをおおう」というようないとわしい形容さえ、預言者がこの地に適用した言葉に相違ない(イザヤ一四の一一)。ほんとうに人が住むことを望む最後の国がいわゆる陰府よみだ。他のすべての場所が鎖された後でなければ、とても目に入らないのがこの場所だ。

それだのに、ひとりイエスはこれを何と呼んだか。言葉もあろうに、彼の選んだのはまたたぐいなく輝かしいものであった。パラダイス!およそある場所又は状態を呼ぶのにこれよりも高い名があるだろうか。それは全幅の意味において人の心をき付ける名だ。正当に「パラダイス」と呼ばれ得る所に誰もがいたいのである。そういう所をみんなが慕い求めているのだ。それは実際あるのか。あるならば何処に?かつてはこの名をもって聞こえた一つのうるわしい園が地上にあった。しかしそれが人の手から失われて以来もう久しいことだ。地上には確かに再びこの名に値すべき所がどこにもない。しかるにここにイエスは大胆にも明言したのである。「今日お前は私と一緒にパラダイスにいるだろう」と。「今日」といい「私と一緒に」というさえ嬉しい音ずれであるのに、まだその上に「パラダイス」とは!そしてそれがあのわびしくいとわしい死の国のことであるとは!

余りに思い切った提唱だ。気味がわるいほど痛快な倒錯観だ。しかしもしこういうものが福音というのでないなら、何がそれだろう。イエスは我等の霊魂の行先を「地の深き所」(詩六三の九)「水またそのなかる者の下における戦慄」(ヨブ二六の五)から解放して、天の高き所、神のみもと(後コリント一二の四、黙示録二の七)にまで引き上げてしまったのだ(イエスの死よりその復活昇天までの間のパラダイスの特別の性質については必ずしも今ここに研究する必要がない)。

薄明、晩鐘、そしてその後にみ、愛する者は何処に逝いたのか。一度ひとたび沙洲を超えし後は、ただひとり、見も知らぬ暗黒の大海の沖あい遥かに?のこされし者に告別の悲しみが湧かざるを得ようか。そのえがたく暗い思いにすべての涙を注ぎつくしたい。

しかしながら主に在りて逝く者は、振り返って手を打ちふりながら言う「どうか告別の悲しみがないように!どうか沙洲の歎きがないように!」と。沙洲の彼方は大海だ。しかし暗黒の国ならぬ光かがやくパラダイスだ。そこには水先案内――我が霊魂を愛するイエスが待っている。さいわいなるかな、主にありて逝く者!

二 生くるはキリスト、死ぬるは益なり

沙洲の彼方に待ち受けている水先案内が、今しも河口から乗り込もうとする心弱き客を励ますように、イエスは十字架の上から盗賊に向かって語った。もし人類がかつて死の国について聞くことの出来た確かな消息はこの一言しか無いのであるとしても、それは我等の望みを堅き固きいわの上につなぐに足るものであった。しかし喜ばしくも、なお我等に適切な他の音ずれが伝えられている。それは使徒パウロの告白だ。

パウロの告白は彼の辞世の言ではない。その時死は彼に取ってまだ差し迫った事実ではなかった。沙洲はまだ視界の外にあった。にも拘わらず、彼は首を伸べて懐かしげに沙洲の彼方を望み見たのだ。ちょうど故国の岸に近づいた帰朝客が、甲板の上から、まだ現われもせぬ陸地をじっと見やるように。ほんとうにパウロの心は強く死の国にかれていた。

そういう風な物の言い方は、何か厭世的気分を連想させるかも知れない。しかしどうして。パウロの場合には世界が全く別なのだ。この人に取って何が不似合だと言って、物暗い厭世的の気分ほど縁の遠いものはなかった。もし生の歓喜を極度まで味わい得た人がかつてあったとしたなら、それはパウロだ。

彼には生きる事その事が歓喜であった、歓喜の充実であった。「……我は喜ばん、汝らすべてと共に喜ばん。かく汝らも喜べ、我と共に喜べ」。「我が兄弟よ、汝ら主にありて喜べ」。「汝ら常に主にありて喜べ、れまた言う、汝ら喜べ」(ピリピ二の一七、一八、三の一、四の四)。およそこういうような言葉に彼の生活の基調がよく表われている。

そしてパウロがそうまで歓喜にちた生き方をしたのには、実際十分の理由があったのだ。彼は自ら説明して言うた。

我にとりて、生くるはキリストなり。(ピリピ一の二一)

簡単な、しかし何という深い言葉だろう。私は今まで幾度いくたび、自分の愛する武蔵野の野路を辿りながら、この一句を繰り返し口ずさんで、パウロの心をしのんだかわからない。私は彼のペンにこの一句が上った時の彼の満足のほほえみを想像する。否、私は、小アジアの片田舎やギリシャの都会を巡歴めぐって聞くにえない嘲笑や痛々しい迫害を受けながら、ただある一人の名を唱うる事に無限の慰藉いしゃを見い出していたかの貧しい伝道者の面影を想像する。愛する者の名を呼ぶという事は実際不思議な経験だ。一つの名の中に自分のすべてが披瀝ひれきせられる。キリスト!それはパウロにとってどんなに慕わしい名であったろう。それを呼ぶ時に、彼は自分の全生命がそこに注ぎ尽くさるることを感じた。この名をもって表わし得ない何ものも彼には無かった。キリストによって彼は生まれわったのだ。キリストによって彼は生きているのだ。いや、最早もはや彼自身が生きているのではない、キリストが彼の内に生きているのだ。またキリストの心を悦ばす事が彼の生きることの目的の全部なのだ。キリスト、キリスト、キリスト。彼のいのちの源も、力も、望みも、みなこの一つのものにあった。ほんとうにそれが彼にとってのすべてであった。もしこの一つのものが無いなら、如何なる意味においてもパウロの現在の生命はあり得ないのだ。だから、彼は言わざるを得なかったのだ。「私に取っては、生きる事すなわちキリストだ」と。

愛に生きる人はさいわいだ。最もさいわいなのは、キリストに対する愛に生きる人だ。彼をいつも心に抱いて、「自分が生きているのは如何いかなる意味においても彼があるからだ。彼が自分の喜びであり、望みであり、いのちそのものである」と言い得る人その人はさいわいではないか。その人は生き生きしている。なぜなら聖き愛が内に湧き外に溢れて輝いているから。その人は歓喜でちている。なぜなら神の子の心を悦ばす事が人としての最も深い霊的要求の満足であるばかりでなく、すべての悲しみはまた彼によって慰められるから。その人はいつも力強い。なぜなら限りなき力の供給を受け得るから。そしてパウロが実にその人であった。彼ほど生き生きと、彼ほど歓喜にちて、彼ほど力強く、生活した人も少なかった。彼は確かに稀なる生のめぐみの実験者であった。

すべての人が死を怖れる。なかんずく生においてめぐまれる者ほどそのこころが強くあるのは当然だ。もしパウロが何人にもまさりて死をいとうたとしても、誰がそれを怪しもうか。しかるに事実はかえって反対の極端にあった。パウロは今しも生のめぐみを悲歌して進めたそのペンを新たにインク壷に浸す間もなく、一気に、驚くべき次の句を綴ってしまった。曰く、

また死ぬるは益なり。(ピリピ一の二一)

益とはもちろん損失に対する利益のことだ。すなわち、ものがすでにある所よりは減じないばかりでなく、かえって増すことを意味する。疑いもなくパウロはここに生と死とを比較して、そして死は生よりもさらに益である、さらに勝ると断言したのだ。次の二節が一層明らかにその意味を裏書する。曰く、

されどもし肉体にて生くる事、わが勤労はたらきとなるならば、いずれを選ぶべきか、れこれを知らず。我はこの二つの間にはさまれたり。わが願いは世を去りてキリストと共におらんことなり。これ遥かに勝るなり。(ピリピ一の二二、二三)

「私にとって生きる事はキリストだ、歓喜の充実だ。また死ぬ事はそれよりももっとよい。しかし自分の喜びだけで取捨をきめるわけには往かない。もし自分の生きている事が人のためになるなら、すなわち人のための働きのを結ぶ条件になるなら、それなら私は一体どっちを選んだらいいのか、私にはわからない。私は全く二つの間に板挟みになって当惑する。自分だけの願いを言わしてくれるなら、それはもちろんキリストと一緒にいることだ。その方がどんなによいことかも知れない」。

驚くべき告白ではないか。誰の口からかつてこんな言葉が聞かれたろうか。生と死との間に板挟みになって困った者は昔から必ずしも少なくはない。しかしそれはみな呪いの方面からだ。生の呪わしさと死の呪わしさとの間にはさまれたのだ。ハムレットのように、生きんには余りに荷が重く、さりとて死なんには余りに心弱しという憐れなジレンマに陥って、結局「居る方がいいのか、居ない方がいいのか、それが問題」となったのだ。もとよりパウロの経験との間には天地の差がある。パウロが苦しんだのは呪いならぬ恵みの板挟みのためだ。生は彼にとって言いがたき恵みであった。しかしそれにも勝る死のめぐみ!パウロの告白はまさしく死の讃美でなくして何であろうか。

パウロは死を讃美した。死は彼に取って生よりもさらに美しくさらに願わしきものであった。それはなぜだろうか。唯一の理由しか考え及ばない。キリストのゆえに酔うほど甘い生よりも、なお勝るものは、いよいよ濃く深くキリストを味わうことの出来るものでなくてはならぬ。キリストを離れて、何処にも恵みはない、益はない。「生はキリスト、死は益なり」という、言い換えれば、死はより多くキリストであるというよりほかの意味ではあり得ない。現にパウロ自身が直ちに説明を加えて曰うた「わが願いは世を去りてキリストと共におらん事なり。これ遥かに勝るなり」と。他の場合にもまた彼は曰うた「願うところは身を離れて主と共におらんことなり」と(後コリント五の八)。ある高い意味において、主キリストと一緒にいる事、これだ。ただこの一つの事実のうちに、死の優れたる甘さ、それが生よりも益である所以ゆえんの全部がもっているのだ。

我等はどうかすると、世の終わりの日における復活を信じながら、死のゆうべから復活のあしたまで、すなわち沙洲を超えてから永遠の国の岸に着くまでの状態について、暗い思いを抱き易い。一度ひとたび眠りについてから、起きよという主の声を聞くまでは、いわば失神の状態にあるのであって、意識もなければ、交通もないというのが、多くの人々の考えのようだ。もしそれが事実であるとしたら、復活の希望はさる事ながら、当分の間の霊魂の運命について、誰が寂しい思いをせずにいられようか。少なくとも私のような弱い者は、現実に愛する者の死に面したような時に、それではとてもえられない。

この時に当たって、パウロの告白は何という慰めに富んだ音ずれであろうか。彼は霊魂が「身を離れて」から復活に至るまでの間の状態について、右のような高い高い讃美の声を挙げたのだ。こころみにしばらく彼の立場に立って見よ。生きる事は彼に取ってキリストであった。しからば失神の状態に陥る事が、キリストにあって溢るる歓喜と希望との生活を続ける事よりも益であり得るだろうか。黒暗の谷に冷たき石のごとく黙々として横たわる事が、キリストに牧せられて緑の野に臥し憩いの水浜みぎわに伴わるる事よりも勝り得るだろうか。意識なきながき睡眠にふける事が、キリストによって敵前にえんを設けられ、こうべに油を注がれ、酒杯さかづきを溢れしめらるる事よりもさらにくあり得るだろうか。ことにパウロが滅びに向かう霊魂に救いの音信おとずれを伝うべき自分の務めをどんなに誇りかつ感謝したかを思え。この務めを果たす事の光栄に比べては、すべてのものを塵芥ちりあくたのように彼は見棄てたのだ。しかるにただ死だけは、これをこの光栄に比べて見て「いずれを選ぶべきか、れこれを知らず、我はこの二つの間にはさまれたり」と言っているではないか。そしてなおも心残りらしく「わが願いは云々、これ遥かに勝るなり」と附け加えているではないか。ああ使徒パウロの口からかくまでに熱切なる告白を聴きながら、なお死の暗さを信じなくては気の済まない人はそう信ずるがよい。私は――私はパウロの言によって慰められる、そしてその意味をなおも深く味わって見たいと思う。

前にも見たように、死に対するパウロの讃美の理由は、全くただキリストと共にいるという一事実にあった。世に在るうちにも我等はキリストと共にいるのではないか。確かにそうだ。しかしひとしく「共にいる」といっても、その内容に大分のちがいがある。パウロ自身が他の場合に簡単にそれを説明した。「かつ身にるうちは主より離れるを知る、見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり」と(後コリント五の六、七)。我等が親しい友と離れている時でも、お互いに信じ合う事によって、霊的に一緒にいることが出来る。確かに一緒にいるのだ。しかしそれでもなお顔と顔とを合わして相見る時の喜びはどんなに勝るだろう。ちょうどそれだけのちがいが、現世の生活と死後の生活との間にもあるのだ。ここではキリストとの関係がすべて信仰という媒介者を通してだ。その意味において、彼と一緒にいる事もまた間接的事実だ。しかるにあすこではすべてが直接だ。あすこでは信ずるのではなくて見るのだ。「霊魂がその謙遜なる友にしてかつ道具であったところの身体をしばらくの間て去る時に――後日全くあらたまった美しさにおいて再びそれを取るためにほんのしばらくの間脱ぎ去るのだが――その時霊魂は直接にキリストの面前に出て、まのあたり彼と相見るのだ」、離れていた友とうように、又は顔おおいがたちまち取り除かれたように。そしてその時以後、肉にありては経験することの出来ない親しさにおいて、いつも彼と共に暮らすのだ。およそ相愛する者が共に在る事によって経験し得べきうるわしさを、その最も高き程度において、我等の霊魂は死の国にあって経験するのだ。

その事自体がどんなにさいわいなことだろう。しかしそれにつけて我等はなお一つの事実を想い浮かべずにはいられない。我等が先に往った愛する者とまた会うことの出来るのは何時いつか。復活の日にその喜びが我等に許されることは言うまでもない。けれども復活のあしたまで我等は待たねばならぬのか。そういう風に考えるのは、死の国における生活についての観察が鮮明を欠くためではないか。そこで各自がキリストとの間に最も生き生きした直接の交通を続けながら、お互いには通じないでいられるだろうか。有り得べからざる事だ。否、我等がキリストをまのあたり見い出す時に、またすべて我等の愛する者をも見い出すのだ。彼等は彼と一緒にいる、彼等はそこで我等を待っている。ああ再会の悦び!その実現の日は近い。必ずしも復活の朝まで待つに及ばない。我等各自が委ねられし戦いを終って、父のみもとに凱旋するその時、彼等は歓び勇んで我等を迎えてくれるだろう。彼等もまた貴き水先案内と一緒に、砂洲のかなたの瀬戸際で我等を待ち受けてくれるだろう。

三 天職の不滅

聖書がある個人――歴史的人物――の死後の生活について記している場合は、私の気付いた限りにおいて、三つある。もちろんイエスの場合は別として。

その一つはアベルである、アベルについてへブル書記者は言う、

彼は死ぬれども、信仰によりて今なお語る。(一一の四)

言うまでもなくアベルはアダムの子、人類の生誕の記録から言えば第二人者、死の方では実にその最初の記録の作製者だ。この人がいたましい殉教の死を遂げてから、へブル書記者の時代までには、もう四千年あまりも過ぎている。それだのに「彼は死ぬれども、今なお語る」という。何を意味するのか。

「それは明らかに『時の無いこと』を意味する。すなわちこの人はいつまでも時代錯誤とならない事、へブル書記者が生きていた時に、彼の声はなお全く近代的の声であった事を暗示する。アベルの声は老朽しない。彼の人格は特定の時代に属するものならぬある世界的な従って永久的なものを代表したのである」とジョージ・マセソンは説明する。時代錯誤となることを知らぬ人格、永久に近代的な声――美しい説明だ。アベルは確かにそれだ。彼の単純な信仰と、その義のために犠牲となった最期とは、何時いつまでも人の心に新しい印象を刻んでやまないだろう。しかし私は疑う、へブル書記者がここに言っているのは果たしてその事だろうか。「彼は今なお語る」というのは、単にその後世にのこしている感化のことを意味するに過ぎないのだろうか?

「真実の解釈はその起源たる本文、すなわち創世記四章十節(汝の弟の血の声、地より我に叫べり)ならびにヘブル書十二章二十四節(アベルの血に勝りてものいう注ぎの血)に引照して見ればすぐわかる。ここに『語る』とあるは、人には聞こえずとも神には聞こゆる罪なき血のその叫びを意味すること、日のごとく明らかではないか。しかしてその事は義人は死後なお神の眷顧けんこの目的であり、従って失せず忘られず、なお神に向かって生きることを証明する。――その叫びは聖書の記録においてえず発言を続ける。アベルは聖書の中に今なお語る、何となれば神は彼の叫びを聴くとそこに言うているからである」、デリッチはこういう風に註解する。そして彼のいうとおり、「語る」とは単にアベルの人格又は生涯が我等の心に訴えるという漠然たる意味ではあるまい。彼の血が神に向かって復讐を求めるその叫びのことを心に置かないで、へブル書記者がこの言葉を記したと想像するは不可能だ。アベルが死んでもなお語るという時にそこに特別の意味を認めないわけにゆかない。けれども私はなお疑う、へブル書記者の意味は果たしてデリッチの言うところで尽きているだろうか。単にアベルの血の叫びだけの事がここに意味せられているに過ぎないだろうか。

一体、ある人が語るといえば、無論その人自身が語ることではないか。「アベルは死ぬれども信仰によりて今なお語る」という。それは彼の歴史が語るというのではない、はた又彼の血が語るというのでもない。歴史が語るとか血が語るとかいうのは擬人的の言い方だ。人ならぬものを人になぞらえていうのだ。しかるに人そのものが語るという時に、それをわざわざ擬人的に解するという法はない。アベルが今なお語るというなら、アベル自身が今なお語ることにきまっている。そうだ、アベル自身が今なお、死んで後すでに何千年の今なお、語りつづけるのだ。エデンの野に朽ちた彼の肉体なぞは分解飛散して幾変遷を経たか分りはしない。彼の生涯に関する記録さえ僅かに聖書中の一二行を除くほか何処にも伝わっていない。それにも拘わらず、アベル自身は滅びたのでもなければ、無意識の状態に眠っているのでもないのだ。彼は死ぬには確かに死んだ。けれども彼は今なお生きているのだ。そして今なお信仰によって語っているのだ。

彼は何を語っているんだろうか。この問題に来て始めてデリッチの解釈が役立つ。かつて地から叫んだアベルの血の叫びがまた天のパラダイスにおける彼自身の叫びでなくてはならぬ。彼は復讐を叫ぶ。神に向かって、不当に流されしおのが血の復讐を願い求める。それは敵に対する憎しみからではない、自分の満足のためではない、正義のため、神の聖きこころの実現のためにだ。アベルは死んでからもなお正義のために絶えず語りつづける。

使徒ヨハネがパトモス島で霊に感じて見た幻のうちに次のようなのがあった。――祭壇があった。その下に多くの人の霊魂があった。いずれもかつて神のことばのため又その立てしあかしのために殺された人々であった。彼等はしきりに呼ばわっていた、大声で。いわく「聖にしてまことなる神よ、何時いつまでさばかずして、地に住む者に我等の血の復讐をなしたまわぬか」と。すると彼等はおのおの白い衣を神から与えられた。そしてまた彼等に言い聞かすように神の答が聞こえた。いわく「今しばらく安んじて待て。復讐を要する者は汝等のみではない。この後汝等と同じように殺さるべきわが僕たち、すなわち汝等の兄弟たる者の数が満たねばならぬ」と(黙示録六の九~一一)。恐らくその中にアベルもいたにちがいない。いたばかりでない、彼はその光栄ある白衣の殉教者団の首領として、その厳粛なる祈祷会を司宰していただろう、そして今なおいるだろう。イエスもいうた、「これによりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝等が殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流したる正しき血は皆なんじらに報い来たらん」。

アベルは若くして殺された。彼の地上の生涯は果敢なくも中途に端折はしおられし未成品であった。彼は羊いを業としたという事と、ある時仔羊の犠牲を神に献げたという事のほか、何一つ事業らしい事業を成就しなかった。彼の天職は何であったか。何であったにもしろ、それは遂に果たされずに終ったに相違ない。春まだ浅いうちにじられた若芽のように、アベルの生涯は空しく散ってしまった。

アベルはただ殺されんがために生まれたのか。その血をもって義のあかしをする事のほか生きて果たすべき天職というものは彼には無かったのか。そんな事はあり得ない。ただ死のためのみの生命というがごときは無意義だ。イエスすら単に十字架にけられんがためにのみ来たのではない。死には死の目的があるように、生にもそれ自身の目的がなくてはならぬ。アベルもまたすべての人と同じように、もちろん生きて成就すべき天職をもって来たのだ。誰がただ死のためにのみ造られようか。

生くるにも死ぬるにも義のためのあかしをなす事、これが義人アベルの天職であった。そして彼の死の目的は完全に果たされた。しからばその生の目的はどうか。生きてなすべきあかしの業はどれだけ成し遂げられたか。残念ながら彼の地上の生涯においてそれは未完成のままであった。「我等は彼を見るときに、いまだ稿を終らずして著者が逝きし書物の始めを読むような心地がする」。アベルの生涯にはまだ多くの未来が潜在しておった事を何人も疑い得ない。

そして必ずしもひとりアベルの場合のみではない。我等の友人のうちにも現に幾たりかのアベルがあった。若くして逝きし信仰の人、しかも数多あまたの優秀なる能力を賦与せられながら。彼等はその天職を終ったから召されたのであるとは私はどうしても信ずることが出来ない。彼等をとむらうつもりで「あの方は存外早く御用を済ませられましたね」などと言う人を聴くとき、私は何か腹立たしさをさえ感ずる。死者は最早もはや御用が済んだのであるとは誰から教えられたのか。君の聖書の何処にそんな事が書いてあるのか。その反対に私の聖書は次のように教える。

我また天より声ありて言うを聞けり、いわく「書き記せ、『今よりのち主にありて死ぬる死人は幸福さいわいなり』、聖霊も言いたもう、『しかり、彼等はその労役はたらきめてやすまん、そのわざこれにしたがうなり』」と(黙示録一四の一三)。

その労役はたらき(kopon = 煩労、苦痛、悲歎)は墓の入口で行き止まる。主にある死者はこれをめてやすむ。しかしそのわざ(erga = 事業、活動、行為)は彼等にしたがうのだ、墓を超えて何処までも死者についてゆくのだ。我等が神から授けられた天職の遂行は、死とともに終らない。天のパラダイスまで我等はそれを携えてゆく。あすこへ往ってから新しい悦びをもってそれを継続する。しかもあすこへ往ってからの活動には労役はたらきが全く伴わない。この世において我等の経験する苦しみはみな除かれて、あすこでは活動そく歓楽だ、行為そく安息だ、事業そく讃美だ。主にある詩人は死んでなお歌いつづける、さらに聖い言葉をもって歌いつづける。芸術家はさらに美しくそのわざふるう。学者はますますその研究を進める。その他一切の事業が、形をこそ変えるであろうけれども、各自の性質をもって、さらに祝福せられながら天の社会に限りなく継続せられる。それだから今より後、主にありて死ぬる死人は幸福さいわいなのだ。ただに労役はたらきを休むからばかりではない、わざが彼等にしたがうからだ。活動なき単なる休息が何でそんなに慕わしくあろう。すべて聖書が約束する幸福さいわいに消極的方面のみのものはない。召されし者の幸福さいわいは主のもとにおいて彼の聖顔みかおを見ながらその天職を遂行し得ることにある。

義のためにあかしすべきアベルのわざは、この世ではもろくも中途に端折はしおられてしまった。しかしそれだから彼の御用が済んだのでは決してない。否、アベルは死んでもそのわざをやめない。彼は今なおあかしをつづけている、今は祭壇の下における祈祷の形において義のためのあかしをつづけている。「彼は死ぬれども信仰によりて今なお語る」。しかり、来たるべき復活のあしたまで。

我等の愛する多くの近代的アベルもまたみなその通りだ。彼等もつぼみのままに散ってしまった。しかし見よ、地上で散ったつぼみが天国で立派にふくらみつつあるを。彼等の事業はその人格と共にあすこでいよいよ成長しつつあるのだ。神は一つのつぼみをも散ったままに空しくは棄て置きたまわない。「……弟子たちにいいたもう、『すたるもののなきようにきたる余りを集めよ』。すなわち集めたるに、五つの大麦のパンのきたるを食らいしものの余り、十二のかごに満ちたり」とある(ヨハネ六の一二、一三)。これがすなわち神の国の経済だ。信仰の生涯に浪費は一つもない。我等は地上ですたったと思った事業が意外にも天国に拾い集められて、多くのを結んでいることをやがて発見するだろう。

我等が死者に負うところのものは、彼等ののこした事業またはその人格の感化などいう遺物だけではない。そう思うのは大いなる間違いだ。愛する者を聖国みくにに送った者で、彼又は彼女の現在の力を実験しないものがあろうか。死後におけるベアトリチェの援助なくして、『神曲』は決して作られなかった。彼女の祈祷によってダンテの霊は高められその筆は動いたのだ。世界がかつてもった最大の文学さえ死者と呼ばれる者の力に負うのだ。天における彼等の祈祷なしに地における我等の勝利はない。モーセもし岡のいただきに立って手を挙げなかったなら、曠野あらのに戦うイスラエルは必ずアマレクに滅ぼされただろう(出エジプト一七の一一)。天にある香炉に祭壇の火が盛られて投げられる時に、地には数多あまた雷霆らいていと声と電光いなずまとまた地震とが起るのである(黙示録八の三~五)。