藤井武

いやまさる希望の子を一人だに
戦闘の教会はたない、われら
全軍を照らす「日」に記さるるように。

ダンテが天界に昇って使徒ヤコブに会うたとき、彼はベアトリチェにより右の言葉をもって紹介せられた。いま戦闘の教会の全軍のなかに、私ごときはもとより数うるにも足らぬものである。しかしもし何人かがあって私を天の使徒に紹介するならば、私もまたこれに似たる言葉をもってせられんことをねがう。私は実に希望の子である。霊性完成の希望、身体復活の希望、万物復興の希望。かくて「沙漠はよろこびてサフランのごとくに咲きかがやかん」その時を望んで私は生きる。本書において私は少しくこれらの希望について語る。

附記 ここに収むる諸篇はおのおの独立して一たび私の雑誌『旧約と新約』に掲げられしものである。論旨時に重複することあるはそのためである。