診断 その五

エバン・ロバーツ

主イエスが「この類のものは祈りと断食によらなければ出て行かない」と言われたことについてはどうでしょう?なぜ、祈りと断食だけなのでしょう?苦しんでいる人は真理を知的に理解できないからでしょうか?それとも、悪鬼の何らかの特異性のためでしょうか?
(勝利者誌 一九一一年 第三巻 二月号 掲載)


他の人々のために悪霊どもに対して勝利を得る上で重要な一つの点は、信者は悪霊どもに対する絶対的な霊的支配の立場にいなければならないということです。「罪が支配してはならない」ように、サタンが支配してもなりません。敵のあらゆる力に対するキリストの権威を潜在的に持っていたとしても、敵を恐れるがゆえに、その権威を実際に用いることができないこともありえます。あるいは、悪霊どもに「命じること」を図々しいことと見なしてしまうかもしれません。人は「おお、サタンよ、主がお前を責めておられる」と言うことを好みますが、悪霊に命じて「イエス・キリストの御名の中でお前に命じる。出て行って二度と入ってはならない」、「イエス・キリストの御名の中で私はお前がこの人に語ることを禁じる」と言うことをあまり好みません。キリストは「悪鬼どもが語るのを許されませんでした」し、「わたしが行う働きをあなたたちも行うであろう」と言われました。ですから、信者は悪霊どもを黙らせる聖書的権利と神聖な権威をキリストの御名の中に有しているのです。

悪霊どもを支配することを願う人は、(内住する神の霊によって強められている、エペソ三・十六)自分自身の霊が自分自身の魂と体を支配するよう注意しなけれななりません。それは、ある特定の戦いの時、その人自身の霊がその人の体や知性によって妨げられないようにするためです。「祈りと断食」はこの霊の支配を示すものと思われます。また、悪霊どもの中にはただ命じるだけでは出て行かない類のものもいることを示していると思われます。

今日、ある間違った考えが教会の中に存在しています。その考えとは、「悪霊どもを対処する道は、ただ悪霊どもに命じることだけであり、次に、そのように命じた後は、『魂は自由になり、その後、体や思いの中に良くない兆候が現れたとしても、それはみな悪霊からではない』と信じることである」というものです。ただ命じるだけで悪霊どもを追い出せるのはいかなる時であり、魂を解放するのに祈りと断食が必要になるのはいかなる時なのか、人々は知らなければなりません――人々は見分けられなくてはなりません。

重要な点は、悪霊どもに対する信者の霊の支配は絶えず維持されなければならず、それを維持するために信者は「祈りと断食」*を覚える必要がある、ということです。あるいは、どの事例の時、信者の霊の支配が及ばなくなるのか、知る必要があります。キリストが少年から悪霊を追い出した事実は、キリストは祈りと断食によってこの問題に備えておられたが、弟子たちはそうではなかったことを示しています。

* この真の「断食」は、霊の中にある生活の実際の現れでなければならず、「霊的な人たち」だけが理解できます(ガラテヤ六・一)。主は「祈り断食」と言われたのであって、「断食と祈り」と言われたのではありません。すなわち、一方は他方の結果でなければならないのです。つまり断食とは、霊の上にのしかかる祈りの負担のゆえに、「自然に」少ししか食べられなくなること、あるいは、全く食べられなくなることなのです。しばらくの間、霊の上に加えられる圧迫のゆえに、体の必要は休眠するか、あるいは、その度合いが弱まります。「霊的な」人はみな、この経験を知っています。そして、ロバーツ氏が言う、霊の絶えざる支配を維持するために必要な祈りと断食とは、体が霊に服して決して少しも霊を支配しないことにほかならないことを知っています。(編集者)

この少年は明らかに何も「わかり」ませんでした――少年は協力することなく解放されたようです。この事例の特異な点は悪鬼の種類でした。悪鬼を支配したのは――神の子としてではなく――人の子としてのキリストでした。キリストはこの悪霊を追い出すため、祈りと断食によって予め用意しておられたのです。

暗闇の勢力に対する支配を絶えず維持するには、祈っていなければなりません。あなたの生活のどの領域においても、暗闇の勢力はあなたに従っていなければなりません(ルカ十・二〇)。もしあなたが自分自身の環境の中で彼らを支配できないなら、どうしてあなたは他の人々や世のために彼らを支配できるでしょう?

悪霊どもに関するこの真理の理解が衰えるようなことがあってはなりません。それは、私たちが識別しそこなわないためです。キリストは変貌の山を離れた時、そこでの経験に有頂天になることなく、その山の麓に着いた時、霊の穏やかな支配の中にいて、悪霊どもに取り憑かれている少年に会う万全の用意ができていました。そして別の時、ペテロを通して彼に対する攻撃が来た時も、彼は同じようにサタンの接近を識別する用意ができており、サタンを支配されました。

暗闇の勢力全体に対して祈りを注ぎ出すことは、特定の事例のために祈ることにもまして、悪霊どもに対する支配を維持する上で重要な一つの要因です。今日、多くの信者は悪魔を支配していません。なぜなら、彼らは悪霊どもの存在を悟っていないか、あるいは、おぼろげに悟っているだけだからです。彼らは自分自身と他の人々のために、悪霊どもを支配する方法を自分の個人生活の中で学ばなければなりません。キリストは言われました、「見よ、わたしはあなたたちに敵のあらゆる力に対する力を与えます」。しかし、彼はこうも言われました、「この類のものは祈りと断食によらなければ出て行きません」。この後者の御言葉は、キリストがそうされたように、いかなる緊急事態にも対応できる心構えで生活する必要があることを示しています。キリストは、「この悪鬼を追い出す前に、わたしは行って断食と祈りをしなければなりません」と言う必要はありませんでした。ですから、「祈りと断食」の姿勢を維持して、必要な時にキリストの権威を行使する用意を整えようではありませんか。

エバン・ロバーツ