診断 その六

エバン・ロバーツ

聖霊による認罪と敵による罪定めの違いを見分ける方法について、私に何か光を与えていただけないでしょうか?
(「勝利者」誌 一九一一年 第三巻 三月号 初出)


あなたの話によると、あなたは「後で正しかったとわかるようになることでも、常に罪定めの感覚に陥ってしまう」のですが、その時は「罪定めの感覚に抵抗することは、矯正を喜んで受け入れようとしない霊に場所を譲ること、あるいは、聖霊による認罪に抵抗することである」かのように感じてしまうとのことです。第一に、あなたは自分自身のために喜んで「矯正を受け入れ」ようとしているのかどうか、はっきりしていなければなりません。しかし、喜んで受け入れようとしているかどうかを感覚によって判断してはいけません。あなたはその気持ちを造り出せませんが、あなたには選択する力があり、「もし必要なら私は矯正を受け入れます」と宣言することができます。次に、この点に関するいかなる疑念や問題も退けなさい。第二に、神による認罪に抵抗してしまうかもしれないというあなたの恐れについてですが、この時、あなたには聖霊が必要です。聖霊はあなたをあらゆる真理の中へと導いてくださり、何が神による認罪なのか、何が悪霊どもによる罪定めと訴えの欺きの働きなのか、教えてくださいます。この問題を祈りの中で神に持ち出して、この件に関して知る必要があることをすべて教えてくださるよう神に求めなさい。聖霊による真の認罪であると思われる「認罪」が与えられたのに、その後、その認めたものがなくなり、それでも明らかにその認罪が続くなら、それは真の「認罪」ではなく、敵による訴えと罪定めです。

エバン・ロバーツ