第十章 メシヤ預言

エーリッヒ・ザウアー

旧約聖書全体にわたってキリストは来るべき御方と見なされている。旧契約の中で福音は生まれつつある。「旧約聖書は朝の薄明と黎明である。黎明は太陽に属す。したがって、旧約聖書はキリストに属す」。「旧約聖書はキリストの何たるかを告げ、新約聖書はキリストが誰なのかを告げる。しかも、次のことが明らかになるような方法で告げる。すなわち、彼を『キリスト』として認識する者だけが『イエス』を知り、彼が『イエス』であることを知る者だけが『キリスト』が誰なのかを知るのである。それゆえ、この二つの聖書は贖い主の二つの主な名に対応している。すなわち、旧約聖書はキリストというその職名に対応しており、新約聖書はイエスというその個人名に対応している。しかし、両方とも一つの御霊によって霊感されており、相互に解き明かしあう」。

クリストス(Christos)という全く同じ語形が、キリスト誕生の三世紀前に、七十人訳の中で使われていた。七十人訳はエジプトに住んでいたユダヤ人の聖書であり、ユダヤ人によって用意された旧約聖書のギリシャ語訳である。この語形は詩二・二、一サム二・一〇、ダニ九・二五といった節の中に見いだされる。

それゆえ、旧約預言の中のメシヤ像はすべてを含む。それは次のことを描いている。

一.メシヤのパースン
 その人性。家系、場所、時について。
 その神性(隠された形の神性)。
二.メシヤの御業
 低い身分での来臨。
 栄光の中での来臨。

一.メシヤのパースン

人になる前から、キリストはすでに救済史の中心だった。

旧約聖書中の彼の予示は、同時に自己顕示でもある。なぜなら、「キリストの霊」が預言者たちの内にあったからである(一ペテ一・一一)。キリスト以前の啓示史は、来臨以前の「キリスト史」である。

1.その人性。目標を意識しつつ、諸々の世紀にわたる行程を進みながら、旧約預言は贖い主の人性を描写した。その光の環は絶えず狭まって、一点に集中していった。さながら、上に向かって細くなっていくピラミッドのようである。まず第一に、

(a)その家系。世界の贖い主は人類の子孫であり、「女の裔」(創三・一五)である――こうアダムとエバの時に告げられた。紀元前四三〇〇年頃のことである。

人類のすべての種族のうち、セムの家族の出身である(創九・二六)――こうノアは預言した。紀元前二三〇〇年頃のことである。

セム族すべてのうち、アブラハムの裔の出身である(創一二・一~三)――こう神ご自身が仰せられた。紀元前一九〇〇年頃のことである。

アブラハムから出たすべての諸国民のうち、イスラエル出身である――イサクとヤコブへの契約移譲によって証明されている通りである。紀元前一八五〇年頃のことである。創二六・三、四、二八・一三、一四を見よ。

すべてのイスラエル民族のうち、王の部族であるユダ出身である――紀元前一八〇〇年頃に述べられている通りである。創四九・一〇。一歴五・二参照。ヘブ七・一四。

実際にはルベンが長子の権利を持っていた。それにもかかわらず、メシヤは「ルベン族から出た獅子」ではない。なぜなら、(創三五・二二に記録されている)罪のせいで、ルベンは長子の権利とメシヤに関する権利を剥奪されたからである(一歴五・一、創四九・三、四)。次に続く兄弟であるシメオンとレビも、シケムでの流血行為のゆえに除外された(創四九・五~七)。

その結果、ルベンの長子としての権利は次のように分割された。

物質的嗣業の二倍の分け前(申二一・一五~一七)はヨセフが受け継いだ(エフライムとマナセによって。一歴五・一、二)。

祭司の位(出一三・二、一五を見よ)は、出三二・二六~二八に鑑みて、レビが受け継いだ(民三・一二、四五、八・一七、一八)。そして

支配者の位(創四三・三三、四八・一四、一八、一九を見よ)は、ヤコブの四番目の息子であるユダが受け継いだ(一歴五・二)。それゆえ、メシヤは「ユダ族から出た獅子」なのである(黙五・五、創四九・九、一〇)。

この後、この約束の特化は数世紀の間やんだ。モーセは、確かに、紀元前一五〇〇年頃、彼の五重の働きと、自分のような一人の預言者の来臨についての預言を記している(申一八・一五、使三・二二、七・三七)。そして、特に、幕屋と諸々のいけにえは祭司としてのキリストの型である(特に出二五~三一、レビ一~七、一六、ヨハ五・四六)。しかし、モーセはこの約束を、その頂点に向かってさらに進めることはしなかった。

モーセの同時代人で、異教の先見者であるバラムも、同じように、来るべきに関する自分の預言を、イスラエルの一般的枠組みの中に限定した。「私は彼を見る。しかし、今ではない。私は彼を仰ぎ見る。しかし、近くではない。ヤコブから一つの星が昇り、イスラエルから一本の杖が起こる」(民二四・一七)。

ダビデの時代の預言者であるナタンに至って初めて(紀元前一〇五〇年頃。したがって七〇〇年後)、この預言の特化が再開した。その間に、イスラエル王国が誕生した(サウルによって。紀元前一一〇〇年)。そしてこれは、神の王的支配の観点からすると(出一九・五、六、申三三・五)、退歩であり(一サム八・七)、人類の心のかたくなさに対する譲歩だった(マタ一九・八を見よ)。しかし、神の計画が人々の反対によって挫折することはありえない。

神・人であるメシヤの王がイスラエルから出ることになっていた。それゆえ、イスラエル人の誰かがその先祖にならなければならない。しかし、この先祖が王である必要は決してなかった。メシヤの王権にとって、地上のいかなる王朝も必要なかったし、神の計画によれば望ましいものですらなかった。ユダ族出身のどの人でも、メシヤの先祖として選ばれる可能性があったのである。

しかし王国登場後、たとえそれが最初は神の御旨ではなかったとしても、それでも実際には神ご自身によって設立されたのであり、神は人々の失敗を挽回するために次のことを行わなければならなかった。すなわち、神は今やメシヤの祖先として一個人ではなく、信仰を持つ戴冠者を選ばれたのである。

これが救いの計画におけるナタンの使命の意義だった(一歴一七・三~一四)。ダビデに対するナタンの預言を通して、メシヤがユダの王族の中から現れるという約束が、冠をいただくエッサイの息子に与えられた(イザ一一・一を見よ)。今から後、メシヤは「ダビデの子」である(黙五・五を見よ)。

「ダビデ」という名は旧約聖書の中に約九八〇回、新約聖書の中に約五〇回現れる。つまり、全部で一〇〇〇回以上である。「イエス」という名はほぼ一〇〇〇回現れる。

その後、この約束のさらなる特化は、まさにダビデの王家の系統全体にわたって続く。ダビデの多くの息子の中から(二サム五・一三、一四)二人が特にメシヤの祝福の伝達者となった。バテシバの息子であるソロモンとナタンである(一歴三・五)。ソロモンの子孫が主イエスの法的「父」であるヨセフである(マタ一・六、一六)。ナタンの子孫が彼の実際の母である処女マリヤである(ルカ三・二三、三一)。厳密に考えると、キリストはこのようにソロモン直系の出身ではなく、統治権のないナタン傍系の出身である。一方は法的であり、他方は有機的である。有機的なものには法的なもの以上の意義がある。

マタイはヨセフの系図を与え、ルカはマリヤの系図を与えている。あるいはもっと正確に言うと、マリヤの父であり(ルカ三・二三)、ヨセフの義理の父であるエリ(それゆえ二三節。ネヘ七・六三参照)の系図をルカは与えている。タルムードもマリヤをエリの娘と呼んでいる。ルター、ベンゲル、ランゲ、デリチェ、他の多くの人がそう説明している。

このように、光が徐々に拡散していくことにより、預言は一般的なものから特別なものへ、職務からその職務の担い手へ、物質的なものから人格的なものへと進んだ。言わば「キリスト」から「イエス」へと進んだのである。旧約聖書は「御父が御子へと引き寄せるもの」だった。それは、新約聖書が「御子が御父へと引き寄せるもの」であるのと同じである(一コリ一五・二八)。

後に、地上の王国は廃墟になった。ゼデキヤと共にダビデの家系はその冠を失った(二歴三六・一一~二〇)。しかしそれにもかかわらず、王国と権力と栄光はダビデと共に続いた(イザ五五・三)。そして終末の時に、キリストは「ダビデ」として御民と諸国民を牧される(エゼ三七・二四、二五、ホセ三・五、イザ一一・一~一〇、エレ二三・五)。「私の僕であるダビデが永遠に彼らの君となる」(エゼ三七・二五.黙二二・一六参照)。こうして人は自分が望んだもの(地上の王国)を手に入れたが、それにもかかわらず、最終的に神がご自分の権利(天の王国)を維持されるのである。

(b)その場所。ダビデに対するナタンの預言により、メシヤの家系に関する問いに決定的答えが与えられた(紀元前一〇五〇年頃)。しかし、その場所と時に関する問いに関しては、依然として明らかにされなかった。それゆえ、さらなる導きを与える二つの預言が与えられた。一つは三〇〇年後(紀元前七二五年)に与えられた、場所に関するミカの預言であり(五・二。一・一参照)、もう一つは五〇〇年後(紀元前五三六年)に与えられた、時に関するダニエルの預言である(ダニ九・二四~二七。一章参照)。

ベツレヘム・エフラタ(パンの家、実り豊かなもの)は英雄カレブの子孫によって建てられ(一歴二・五〇、五一)、士師たちの時代には七年のあいだ士師イブザンの拠点だった(士一二・八~一〇)。しかし、ダビデ以前の数世紀のあいだ、それは極めて名誉な評判と共にイスラエル史に登場する。すなわち、死と嘆き(創三五・一九、二〇)、偶像崇拝(士一七・七以下)、不道徳、同胞間の争い(士一九~二一)、飢饉(ルツ一・一)と共に登場する。しかし、まさにこの町から、へりくだる者を常に顧みられる神は、ご自身のためにメシヤの祖先を選ばれた。こうしてベツレヘム・エフラタはダビデの町として、「主なるキリスト」が生まれる場所となったのである(ミカ五・二、ルカ二・一一)。

間接的なつながりしかないが、偶像崇拝者ミカの家の祭司であるレビ人のヨナタンは、ベツレヘムからミカのところにやって来た(士一七・七~一〇、一~五、一八・三〇)。

しかし、預言はさらに精密さを増した。ミカがその場所を予言した(紀元前七二五年頃)約二百年後に、ダニエルが(紀元前五三六年頃)その時を告げた。

(c)その時。これは「七十週」の預言の中でなされた。あるいは、もっと正確には、第七十週目が始まる前の六十九週である。これと共に預言は頂点に達し、それと同時にその結論に達した。「それゆえ、今これを知って注意を払いなさい。エルサレムを立て直せという命令が出てから、油塗られた者なる君が来るまで、七週と六十二週あります。その間に、しかも不安な時代に、その街路と城壁は再建されます。そしてその六十二週後に、その油塗られた者は根絶されていなくなります」(ダニ九・二五、二六)。

この「油塗られた者」という句はキリストを意味する(おそらくクロスのことではないし、あるいは二マカ四・三四にある紀元前一七二年に殺された大祭司オニアのことでもない)というのが、古代教会の解釈だったし、ヘングステンベルグ、オーバレン、カイルといった最近の注解者の解釈である。

七十週(週は七)の各週は七年である。ダニエルのようなイスラエル人は、これをとても容易に理解しただろう。なぜなら、モーセの律法の下では、七年目毎に安息の年と見なされたからである(レビ二五・四)。こういうわけで「油塗られた者(メシヤ)なる君に至るまで」七+六二=六九周年、すなわち四八三年である。

七十週の開始は、エルサレムを立て直せという命令の発布である(二五節)。これがクロスの勅令(紀元前五三六年)を意味することはありえない。なぜなら、それはもっぱら宮の再建と関係していたからである(二歴三六・二三、エズ一・一~四、五・一三~一五、六・三~五)。その仕事は総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、預言者ハガイとゼカリヤによって、紀元前五一六年までに遂行された(エズ五・一、六・一四、一五)。都の実際の再建はまず、数十年後に、祭司エズラ、総督ネヘミヤ、預言者マラキによって遂行された。

彼らの活動は、ペルシャの王アルタクセルクセス一世ロンギマヌス(アルタシャスタ)が、その統治(紀元前四六五~四二四年)の七年目に、パレスチナの政治的再編に関して発した布告と共に始まった。したがって、紀元前四五七年のことである(エズ七・二五、七)。それゆえ、エズラの活動の開始が七十週の始まりである。その数年後(紀元前四四五年)に初めてネヘミヤは城壁の建造を開始できたが、それは深刻な諸々の困難が当初基礎を据える邪魔をしていたからである。しかしそれにもかかわらず、依然としてこの最初の布告が、都を立て直せという命令の開始であり「発布」だったのである。

この年に、予告されていた六十九周年すなわち四八三年を足すと、紀元二六または二七年になる。つまり、ルカ三・一、二によると、バプテスマのヨハネの直後に、キリストが天の王国の知らせを宣べ伝え始められた年とぴったり一致する。主が公に現れた時、主はおよそ三十歳であり(ルカ三・二三)、さらに、ヘロデ大王は主が誕生された時には生きていたが(マタ二)、ローマ暦の七四九年すなわち紀元前四年に死亡したことから、主はキリスト暦開始の四、五年前に生まれたにちがいない。したがって、主が公の務めを開始された年である二六または二七年には、主は文字通り「およそ三十歳」だったのである。

アクイタニアのヴィクトリヌス(紀元四六五年没)とローマ大修道院長ディオニュシウス・エクシグウス(五五六年頃没)が、キリスト暦を定める時に四年から六年の誤りを犯したことはよく知られている。キリスト暦「元」年は、ローマ暦「七五三」年に対応しているべきではなく、少なくとも七四九年に対応していなくてはならず、一、二年早めるだけでは不十分である。二六年という年は「テベリオ在位の第十五年」(ルカ三・一)でもある。なぜなら、ルカはここで治世の年を勘定する際、テベリオの単独統治の年からではなく(すなわち、紀元一四年八月十九日のアウグストの死からではなく)、共同君主の位に昇った年(紀元一二年一月十六日のすぐ前)から数えているからである。

このようにここでもまた預言の成就により、極めて驚くべき方法で、預言が実証された。そして、旧約聖書のメシヤ預言は、家系・時・場所に関する贖い主の人性を正確に断定しているがゆえに、それは同時に完全な神の絵図であることを自ら証明しているのである。

2.預言者はメシヤの神性を予期した。

しかし、メシヤの神性も旧約聖書の中に示されている。ただし、それは不明瞭な形で、絵図や謎として示されているにすぎない。第一に、ナタンの預言の中に比較的明確な形で示されている。「私は彼の父となり、彼は私の子となる」(一歴一七・一三)。これに基づいてダビデは自分の子孫を「主」と呼んでいる(詩一一〇・一、マタ二二・四四、四五)。そして予型としてのダビデは、まるで王座から身を引くかのように、自分の冠をこの御方の足元に置く。エホバの右に座しておられるこの御方こそ、本物の真のダビデである(ホセ三・五、エゼ三七・二四、二五)。さらに、この同じ詩篇作者は言う、「御子に口づけせよ、さもないと主はお怒りになる」「エホバは私に言われた、『あなたは私の子である。今日、私はあなたを生んだ』」(詩二・一二、七)。これは新約聖書がイエスの復活にあてはめている表現である(使一三・三三。ロマ一・四参照)。イエスの復活は、僕の姿の生活から高く上げられた生活へと昇ることであり、したがって、王として「生まれる」ことだった。

イザヤもまたメシヤの神性を絵画的にさらに描写して、「エッサイから出た枝」(イザ一一・一)を「主の zamach(枝)」(イザ四・二)、「不思議な助言者、力ある英雄、永遠の父、平和の君」(イザ九・六)として描写している。ミカにとって、メシヤは「エホバであり、その出るのは永遠からであり永遠へと至る」(ミカ五・二)。エレミヤにとって、メシヤは「われらの義であるエホバ」(エレ二三・五、六)である。そしてマラキにとって、メシヤは「あなたたちが求めているエホバ」「あなたたちが願う契約の使者」(マラ三・一)である。

これに、箴八・二二~三一の永遠の「知恵」の自己証言も伴う。ヨハ一・一~三参照。以上の順序は歴史的順番である。ナタンとダビデは紀元前一〇五〇年頃、イザヤとミカは紀元前七二〇年頃、エレミヤは紀元前五八六年頃、マラキは紀元前四三〇年頃である。

二.メシヤの御業

メシヤのパースンを預言者たちは調和した対比の下で展望したが、メシヤの御業についても同様である。メシヤのパースンの場合、この対比は神性と人性との間の対比だった。メシヤの御業の場合、謙卑と高揚との間の対比である。「キリストに臨むべき苦難」と「その後の栄光」――これが彼らのすべての預言の二重の内容である(一ペテ一・一一)。

1.低い身分でのキリストの来臨。全く崇高な細密画で預言者たちはキリストの初臨を描いた。この細密画はキリストの輝かしい王としての栄光に至る暗い背景である。

ベツレヘムにおけるキリストの生誕(ミカ五・二、マタ二・一)。
ガリラヤにおけるキリストの出現(イザ九・一、二、六、マタ四・一二~一六)。
キリストの優しさと親切さ(イザ四二・二、三、マタ一二・一七~二一)。
キリストの焼き尽くす炎のような熱心さ(詩六九・九、ヨハ二・一七、マタ二一・一二)。
キリストの数々の奇跡と癒し(イザ五三・四、マタ八・一六、一七)。
キリストのエルサレムへの入城(ゼカ九・九、マタ二一・四、五)。
キリストの敵たちの激怒(詩二・一~三、使四・二五~二八)。
キリストが友人たちから見捨てられること(ゼカ一三・七、マタ二六・三一)。
キリストが銀貨三十枚で裏切られること(ゼカ一一・一二、マタ二六・一五)。
キリストが十字架に釘づけられること(詩二二・一六、ヨハ二〇・二五~二七)。
キリストの骨は一本も折られないこと(出一二・四六、詩三四・二〇、ヨハ一九・三一~三七)。
キリストの衣のためにくじが引かれること(詩二二・一八、マタ二七・三五)。
キリストに飲むための酢が与えられること(詩六九・二一、マタ二七・三四)。
苦難のキリストの苦痛の叫び(詩二二・一、マタ二七・四六)。
キリストの勝利の叫び、「成就した」(詩二二・三一、ヨハ一九・三〇)。
兵士が槍で突くこと(ゼカ一二・一〇、ヨハ一九・三四、三七)。
キリストが三日目に復活すること(詩一六・一〇、使二・二五~三一、ホセ六・二)。
キリストの昇天(詩一一〇・一、使二・三四、三五)。

このように終始一貫してキリストは苦難と勝利の「神の僕」であり、罪人のための身代わりとして贖いを完成させ、こうして、旧約聖書で最も素晴らしい預言であるイザヤ書五三章を成就されるのである(使八・三二~三五)。

2.栄光の中でのキリストの来臨。

主の臨もまた、極めて生き生きとした鮮やかな色彩で描かれている。ここで預言者たちは、「預言の遠近法」の法則にしたがって、キリストの初臨と再臨をしばしば一枚の絵図の中で一緒に展望する(イザ六一・一、二、ルカ四・一八~二〇)。

メシヤはメルキゼデクの王職と祭司職という金・銀の二重の冠をかぶって(詩一一〇・四)、義と御霊の七重の豊かさの中でその王国を支配される(イザ一一・二~四)。

以下はこの黄金時代の栄光のいくつかである。

イスラエルの回心と統一(ホセ三・五、二・一七~一九、イザ一一・九、ゼパ三・一三、エゼ三七・一五~二二)。
諸国民の刷新(ゼパ三・九)
諸国民の間の平和(ミカ四・三、四)
自然界に対する祝福(イザ一一・六~八、ホセ二・二一、二二)
太陽と月の明るさの増大(イザ三〇・二六)

このように旧約聖書は星がちりばめられた夜空のようであり、新約聖書は明るく晴れた日のようである。「新約聖書の中には、旧約聖書を振り返らない言葉は一つもない。旧約聖書の中で新約聖書があらかじめ告げられているのである。(中略)なぜなら、新約聖書は旧約聖書を明らかにするものにほかならないからである。これはあたかも、人がまず封書を受け取り、その後それを開封するかのようである」(ルター、一五二二年の教会説教集)。旧契約最後のメシヤ預言(マラ三・一)に新契約の最初の生誕告知が続く(ザカリヤに対するガブリエルの告知、ルカ一・五~一七)。なぜなら、キリストは旧約聖書のオメガであり、新約聖書のアルファだからである。

三.神の沈黙

預言者たちは語ってきた。約四〇〇〇年間、神はご自身をまず一般の人類に、次に特別にイスラエルに啓示された。特にモーセ以降、預言者のメッセージが途切れることなく続いた。

その後、突如として、マラキと共に預言は沈黙した。神はその高い天に退いて、沈黙された。四〇〇年間沈黙された――沈黙して待っておられた。

そして、この下界にいる人類は、涙の谷の中で、約束された贖い主を約五百年待たなければならなかったのである!しかし、世の救い主の出現の前に述べるべきことは、すでに述べ尽くされていたのである!キリスト誕生の四百年前に、旧約聖書の神の啓示は完成・完了したのである。

それでは、イスラエルの中にいた信者にとって、この待望の訓練、マラキとバプテスマのヨハネとの間のこの長い期間には、どんな目的があったのか?なぜキリストはマラキの時に来臨されなかったのか?

その答えはこうである。すなわち、福音のための準備が啓示によってなされなければならなかっただけでなく、この世や文明においてもなされなければならなかったのである。そして、これこそまさに旧約と新約の間の期間に、特にアレキサンダー大王、ヘレニズム、ローマ帝国を通して起きたことである。これにより、救いのための備えという視点から、この世の諸王国が見えるようになった。そして、啓示に関して沈黙された神は、それと同時に、この世の出来事に関する活動においても沈黙されたのである。この五〇〇年の夜を照らすのは、特にダニエル書である。

聖書中の救いの記録には、啓示のなかった二つの長い期間がある。マラキとバプテスマのヨハネの間の時代と、キリストと神の王国の到来の間の時代である。前者は四〇〇年続いた。後者はすでに約二〇〇〇年続いている。両者とも「諸国民の時」に属する(ルカ二一・二四)。

前者を照らすともしびは、諸国民の預言者であるダニエルである。後者を導く星はヨハネの黙示録である。ダニエル書が旧契約の聖徒たちに与えられたのは、エルサレムの第一の滅亡(紀元前五八六年)と主の第一の出現との間の夜に入るにあたってのことだった。ヨハネの黙示録が新契約の聖徒たちに与えられたのは、エルサレムの第二の滅亡(紀元七〇年)と主の第二の出現との間の夜に入るにあたってのことだった。このように、この二つの書は一つである。一方は他方に対応しており、二番目の書は一番目の書の完成なのである。