一 神の御名

エーリッヒ・ザウアー

全救済史は神の自己啓示であり、創造と贖いにおける神ご自身の栄光を表す。しかし、人や物の内的性質はその名によって表される。「ある物の名はその性質の印であり、その性質が与える印象を表現したものである」。

それゆえ、神格の自己啓示であるこの歴史は、神の本質的御名の顕現でもなければならない。そして、神のこの自己表現は、歴史における神の自己啓示を指し示すものとなる。しかし、ここには創造と贖いという二つな重要な点があるため――三番目の点である栄化は、この両者の究極的目的が完成されるとき、自ずと達成されることになる――それゆえ、この問題においては、神の二つの主要な御名が啓示されなければならない。すなわち、一つは創造主としての神の主権・支配・力を示す名であり、もう一つは神の契約とその贖いの愛の名である。

これは実際その通りである。二つの神の自己表現が全体を支配している。創造主・普遍的支配者の名である「エロヒム(Elohim)」と、贖う契約の神の名である「エホバ(Jehovah)」である。

この二つの御名が実際に主要な名であることは、聖書中に現れるその頻度から証明される。「アドナイ(Adonai)」(主)が四五〇回、「ゼバオス(Zebaoth)」と「エル(El)」(力強い神)が二三〇回、「エロア(Eloah)」と「エル・シャッダイ(El Shaddai)」(全能者)がそれぞれ五〇回程度、「エル・エリオン(El Elyon)」(いと高き神)が三二回足らずしか出てこないのに対して、「エロヒム(Elohim)」は二、五七〇回、「エホバ(Jehovah)」は約六、〇〇〇回出てくる。それゆえ、神の御名は旧約聖書中に約一〇、〇〇〇回出てくる。これは神の御名が聖書の啓示の中で広大かつ高尚な意義を持つことを示している。

「エロヒム(Elohim)」はアラー alah(アラビア語のアリハー aliha)に由来し、「恐るべき」という意味であって、敬うべき全能の神のことである。この名は複数語尾「イム(im)」によって強められている(ケルビム cherubim とセラフィム seraphim を参照)。これは神の豊かさを示す複数形であり、それにもかかわらず、動詞は常に単数形であって、それにより神の単一性と複数性がはっきりと示されている。その満ち満ちた神聖な力と本質から、神はご自身のことを複数形でお呼びになる。しかし、三位一体の奥義は新約聖書の中で初めて明らかにされる。

「エホバ(Jehovah)」(末尾の注を見よ)は、ハワ(hawa)に由来し、「在る、存在する」という意味であって、「存在する、不変の、永遠者」のことである。それゆえまた、「堅固で、永続する者」、「信頼に足る、真実な者」、「今いまし、永遠にいます者」でもある。あるいは、高く上げられた主ご自身が宣言しておられるように、「今いまし、昔いまし、やがて来るべき者」(黙一・四、八、四・八)である。

一.エホバという御名。実に様々な方法で、エホバという御名の栄光が救済史を照らす。

その基盤は

エホバ・エレ(Jehovah-Jireh)、備えてくださる主、贖いを成就するいけにえを手配される方である(創二二・一四)。

その目標は

エホバ・シャンマー(Jehovah-Shammah)、主はそこにおられる、人々と共にある神の幕屋である(エゼ四八・三五)。

その目標への道はエホバだけである。エホバは

エホバ・ロヒ(Jehovah-Rohi)、わが牧者なる主(詩二三・一)
エホバ・ロペカ(Jehovah-Ropheka)、医者なる主(出一五・二六)
エホバ・ジケヌ(Jehovah-Zidkenu)、われらの正義なる主(エレ二三・六)
エホバ・シャロム(Jehovah-Shalom)、平和なる主(救いなる主、士六・二四)である。

そして、これらの祝福をわれわれから奪おうとするすべての勢力に対する戦いにおいては、彼は

エホバ・ニシ(Jehovah-Nissi)、わが旗なる主(出一七・一五)であり、実に
エホバ・ゼバオス(Jehovah-Zebaoth)、万軍の主である。
「ゼバオス(Zebaoth)」は「ザバ(Zaba 軍勢、軍隊)」の女性複数形である。例えば出六・二六、一二・一七、五一、一サム一七・四五。

このような者として、神は星々と太陽系の軍勢の指揮官であり(イザ四〇・二六、四五・一二、士五・二〇、ヨブ三八・七)、天使の世界の大元帥であり(一列二二・一九、二列六・一七、ヨシ五・一三~一五、ネヘ九・六、詩一〇三・二一、一四八・二)、この地上にいる彼の戦士たちの司令官である(一サム一七・四五、民一〇・三六)。エホバ・ゼバオスとして神は、御民を勝利に、その王国を完成に導くよう、その万軍に命令される。

これはまた、バビロン捕囚の期間、「万軍の主」という名が主要な神の御名になった理由でもある。この御名をエレミヤは八〇回、ハガイは一四回、ゼカリヤは五〇回、マラキは二四回用いている。深い苦しみの中に生まれて、捕囚から戻って来た小さなか弱いレムナントにとって、神を「エホバ・ゼバオス」として知ることは慰めだった。天の軍勢の目に見えない指揮官である主は、御旨を勝利に、御民を目標に導いてくださる、という保証を与えたからである。それゆえ新約聖書においても、この神の御名のギリシャ語訳(パントクラトール pantokrator 全支配者)が黙示録の中に現れる(九回、一・八、四・八、一一・一七、一五・三、一六・七、一四、一九・六、一五、二一・二二)。この書には、この世の勢力との戦いの中にある神の民の最大の苦難が記述されているだけでなく、反キリストの軍勢に対する決定的な打撃と、贖われた神の民の輝かしい勝利も記述されている。

それゆえ、「万軍の主」は神の最も力強い御名であり、神の世界大の権能を表す包括的表現であり、いと高き方の最も高貴な王としての御名である。「門を広く開けよ。この世の戸を上げよ。栄光の王が入れるように。この栄光の王とは誰か?主ゼバオスである!この方こそ栄光の王である!」(詩二四・九、一〇)。

二.エホバ・エロヒムという二重の御名。エロヒムは高く上げられた神であり、世界を超越している、被造物の限界を超えた神である。エホバは世界の中におられる神であり、その中に入って来てご自身を証しする神である。

エロヒムは創造主であり、したがって起源・目標である。エホバは贖い主であり、歴史の神である。

エロヒムは第一に「始めと終わりの神」である。エホバは特に「中間(期)の神」であり、最終的にご自身の栄光を表される。

その権能の王国は栄光の王国となる。その間に恵みの王国があり、その本質的内容は贖いである。エホバは、この歴史の過程の中で、始めと終わりをとりもつ神であり、このエロヒムという御名にエホバの栄光と共に神の偉大さを永遠に帯びさせる神である。それゆえ、救済史は「被造物、エロヒム、そして特に人の道となる。この道は『エホバ』の導きの下で『エホバ・エロヒム』に戻る。そして、『エホバ・エロヒム』というこの二重の御名は全宇宙史の標語となる。それは『イエス・キリスト』が新約時代の標語であるのと同じである」。

ヤーウェに関する注

ヘブル語の「テトラグラマトン」(四字名)JHWHの正しい発音はヤーウェ(Jahwe)のようである。「エホバ(Jehovah)」という発音を最初に導入したのは、四世紀前のクリスチャン学者たちである。遡れる範囲内では、イタリアのフランシスコ修道士であるピーター・ガラティヌスが最初である。彼は受洗したイスラエル人であり、その著書「カトリックの真理の奥義」(De Arcanis Catholicae Veritatis、一五一八年)の中でこの発音を用いた。ルターが九十五箇条の命題をヴィッテンベルクに掲げた翌年のことである。

他方、サマリヤ人は「ヤーベ(Jabe)」と言ったという、教会教父テオドレトス(三九〇~四五七年)の伝承がある。この発音はエピファニウス(紀元四〇三年没)によって確認されている。またA.ダイスマンは二世紀と三世紀のユダヤ・ギリシャのパピルスの中に「ヤオウェ(Jaoue)」と「ヤーベ(Jabe)」という神の御名を指摘している。

その正しい発音は失われている。ユダヤ人たちは、レビ記二四・一六にしたがって、神の御名を発音することを恐れ、それゆえ、JHWHの代わりに常に「主」(アドナイ Adonai)と言っていたからである。また、ヘブル語原典には子音しか記されなかったからである。しかし、後にマソラ人たち(本文の伝達者たち)が全文に母音を補足した時、「アドナイ」の母音がJHWHの下に置かれた。それで人はJHWHを「アドナイ」と読んだ。こうして正しい発音はますます忘れられていき、「エホバ」という間違った発音が生じたのである。