第二章 諸国民への使徒

エーリッヒ・ザウアー

教会の召しに対して、パウロには特別な意義がある。他の人々の働きを十分に認めるとしても、教会史全般の観点から見ると、パウロは「唯一の方に次ぐ第一人者だった」。イエスは「唯一の方」だった。彼は、比類ない、超えることのできない基礎を据えられた。パウロは「第一人者」であり、大使(一テモ二・七)であり、諸国民世界における福音の開拓者の長であり、広大な彼方の人民の領域にまで及んだ輝かしい第一の者だった。

一.福音伝道者としての彼の任務

四つの外面的印が、パウロの使徒的活動の特別な特徴である。

1.パウロは異邦人に対する大使だった。割礼を受けた者たちに対する使徒たちと、彼は調和をもって区別されていた(ガラ二・七~十、使十五・一~四一)。彼に対して特別な方法で、「キリストの計り知れない富を諸国民の間で宣べ伝える」任務が与えられた(エペ三・八、三・一、コロ一・二七、一テモ二・七、二テモ一・十一)。それゆえ、エペソ三・八の「私にこの恵みが与えられたのは、異邦人に宣べ伝えるためである」という御言葉では、「私に」(ギリシャ語エモイ emoi)という言葉が文章の冒頭に置かれて強調されている。

2.パウロは開拓者だった。そのような者として、常に新しい土地に救いのメッセージをもたらすことが彼の任務だった。それゆえ、彼はもっぱら、まだ福音を知らされていない地域に行った(ロマ十五・二〇)。自分が働いた地域で福音をさらに進展させる働きを、彼は新たに勝ち取られた信者たちに任せた。彼自身の任務は光の中心を形成することだった。すなわち、伝道を志す諸地方教会を形成することであり、主として主要都市においてだった。こういうわけで、ピリピはマケドニヤの「主要都市」(使十六・十二)、コリントはアカヤの主要都市、アテネはギリシャの主要な知的中心、エペソは小アジヤ西部の主要都市、ローマは全世界の主要都市だった。

これらの中心から、福音の光は周辺地域に輝き渡らなければならなかった(一テサ一・八)。このような中心が形成されると、パウロは先に進んだ。そのような土地では、パウロには「もはや場所がなかった」(ロマ十五・二三)。周囲には数十万の異教徒が住んでいたが、その地で彼は「キリストの福音を十分に宣言した」(ロマ十五・十九)のだった。彼にとって、そうする以外のことは、「他の人の土台の上に建てること」(ロマ十五・二〇)だった。パウロは少なくとも、およそ一万五千マイル旅した。

3.パウロは大都市への使者だった。彼の活動の中心は、ギリシャ文化の偉大な中心だった。アンテオケ、トロアス、ピリピ、テサロニケ、アテネ、コリント、エペソといった都市名から、これは十分に証明される。それゆえ、彼はローマにも行こうと努めた。ローマは「全世界の会合の地」であり、世界の首都だった(ロマ一・十一、一・十三、十五・二三)。

こういうわけで、大都市の文明生活からの諸々の事例を彼は用いた。イエスはもっぱら屋外で、農民や村民に向かって宣べ伝え、田舎からの諸々の事例を用いられた。しかしパウロは、もっぱら大都市で教え、都会の文化からの諸々の事例を明らかに用いた。彼は一般的に「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように」(一コリ九・二〇~二一)なっただけでなく、特に、都会の住人には都会人のようになった。イエスはどちらかと言うと、空の鳥、野の百合、羊飼い、種蒔く者、収穫の畑について話されたが、パウロはどちらかと言うと、裁判官による無罪放免、負債者の負債の免除、兵士の武具(エペ六・十三~十七)、司令官の命令(一テサ四・十)について話し、実に、スポーツや劇場の世界からさえも比較を持ち出した(ピリ三・十四)。都会の人々に対して福音を明らかにして、彼らの心を動かすうえで、万事が彼の役に立ったのである。

絵図のほとんどを、彼は法廷、兵舎、運動場から取った。それゆえ、彼は法律、軍事、運動の専門用語を用いた。彼の中心的で主要な比喩的表現は、法廷や職場から取られている。また彼の目は、周囲の非キリスト教的な世界情勢、詩、哲学に対して、また、宗教や文化の地方色に対して開かれていた(使十七・十六~二九)。彼はアテネ人に対しては「彼らの」祭壇について、コリント人たちに対しては彼らの都市の近くで開催されたイスミアの試合について語った(一コリ九・二四~二七)。パウロは非実践的な学究の徒ではなかった。この世に対してよそ者ではなかった。わけのわからないスカラ哲学の用語を並べたてて、熱心な説教口調で、聴衆の頭ごなしに語る、抽象的な「神学者」ではなかった。彼は当時、全くの現代人であり、大都市出身の人であり(タルソ、使二一・三九)、大都会向けであり、実践家であった。彼は次の二つの特徴を兼ね備えていた――彼は聖別されていたが、この世に対して開いており、永遠と結ばれていたが、現在に近接していたのである。

4.パウロは海港への使者だった。これらの大都市をさらによく見ると、特にそれらの地理的状況と意義を見るなら、「この使徒の世界は、もっぱら海風の吹く所にある」ことがわかる。彼の福音活動は特に、エーゲ海と海沿いの港湾を取り巻いていた。そこに、あるいは少なくともその近くに、トロアス、テサロニケ、アテネ、コリント、エペソといった大きな民間港があった。さらに、アンテオケとローマは、セレウキアとオスティアという港を持つ港湾都市だった。この方法の理由は明らかであり、三つの利点があった。

海港の方が、内陸の地方都市よりも容易に行くことができた。海路の方が陸路よりも速く安全に進むことができた。陸路は実によくできていたが、そこを旅するのは時間がかかり、しばしば危険も避けられなかった。「川の難、盗賊の難」(二コリ十一・二六)というパウロ自身の言葉が示しているとおりである。にもかかわらず、プリニウスによると、スペインからオスティアまでは四日、アフリカからオスティアまでは二日だった。アレキサンドリアと小アジアとの間には、毎日船便があった。

当時、ギリシャ語が国際語であり、他の土地よりも海港都市の方に遙かに広く伝わっていた。開拓的な伝道者にとって、諸々の言語を学ぶという時間のかかる障壁は、これにより除かれた。そして、福音は倍以上の速さで進軍できたのである。

また、後になって、使徒が先に進んだ時でも、内陸にある諸教会よりも海港にある諸教会から、福音は速やかに広がることができた。旅人の商人、港への訪問者、船員、その他の旅人が、港に滞在中、福音に捕らえられた。この人々は、帰路さらに旅を続けながら、世界の新たな土地や地域で、自ら救いのメッセージの新たな開拓者となったのである。こうして、使徒の凄まじい努力と、その身近な仲間の働き人たちの組織的派遣により、「宣教士」の数と、彼らが達した土地の数が増えていき、働き人や到達済みの土地に加えられていったのである。

5.パウロの宣教戦略。このようにパウロの福音の働きは、このうえなく実際的な方法で計画されていた。それゆえ、まさにパウロの「宣教戦略」と言えるほどである。すべてが組織的であり、目標に役立つ原則に基づいていた。また、福音を最大限速やかに広域にわたって広めるために、前もってよく計画されていた。それゆえ、使徒の働き全体の土台であったにちがいない入念な計画を見落とすことはありえない。

しかし、そうではあるものの、計画を立てたのはパウロではなく、彼が仕えた主だったのである。この点で特に意義深いのは、トロアスで夢に見た幻である。この幻により使徒は、個人的欲求や自分勝手な考えからではなく、ギリシャのマケドニヤに召された。それで今では、神の導きに基づいて、東洋ではなく西洋が――ヤペテ族のヨーロッパと一般の西洋人が――福音の素晴らしさが上演される主要な劇場となったのである。たしかに、パウロが旅の計画を立てることはありえたし、実際そういうこともあったのだが、「イエスの霊がそれを許さなかった」(使十六・六~七、二回)のであり、パウロは神の導きに従ったのである。それゆえ、パウロの生涯における宣教戦略について述べるのはきわめて正しいことではあるが、この戦略はパウロのものではなくキリストのものであり、使者のものではなく送り手のものであり、伝令のものではなく事業主のものだったのである。キリストは指導者であり、パウロは代理人だった。キリストは監督であり、パウロは旅人だった。キリストは指揮官であり、パウロは兵卒だった(二テモ二・三、四・二、二コリ六・七、エペ六・十~二〇)。

使二二・二一、十三・四、一コリ一・十七。ギリシャ語のアポステロ(apostello、私は遣わす、送り出す)に由来する「使徒」という言葉を参照。

彼の福音活動の、どちらかと言うと外面的なこれらの特徴に、どちらかと言うと内面的な彼の教えの務めの特徴を加えなければならない。

二.教会の教師としての彼の任務

1.パウロの組織的教えの出発点は、救済史の主要な出来事の中にある。この救済史の中心にイエス・キリストが立っておられる。キリストはイスラエルにお生まれになったが(ロマ一・三)、それでも世界の救い主であった。キリストにより、すべての民を祝福するというアブラハムへの約束は成就された(ガラ三・八~九)。旧約の啓示により、それに先だって現れた国粋主義は、キリストとその御業を通して広がり、新約の普遍的な救いのメッセージになった。旧約のいけにえの成就としての十字架により、レビの祭司職と律法は直ちに廃棄され(ヘブ十・十~十四、七・十一~十八)、それにより、イスラエルと異邦人の間の隔ての壁は廃棄された(エペ二・十三~十六)。救いは今や万民に対して開かれている。

歴史的には、世界を包括する十字架のこの意義が明らかになったのは、ペンテコステ後だった。ゴルゴタがこのように解き明かされた最も画期的な出来事は、カイザリヤのコルネリオにペテロが遣わされたことだった(使十・一~四八)。こういうわけで聖書歴史中、使徒時代のどの出来事にもまして、この出来事が最も詳しく説明されている。ここで初めて、全くの異邦人が聖霊にあずかり、バプテスマされ、律法や割礼について問われることなく教会の中に迎え入れられたのである。これはイスラエル国家とは無関係であり、成就されたキリストの御業を信じる信仰のみに基づいていた。

これはとても重要なので、さらに考えなければならない。

コルネリオの幻は少なくとも三回述べられている(使十・三~六、十・三〇~三二、十一・十三~十四)。ペテロの幻も二回述べられており(使十・十~十六、十一・五~十)、三回目に言及されている(使十・二八)。これらの出来事自体が、超自然的出来事の顕著な配列を示している。すなわち、コルネリオの幻、ペテロの三度の幻、幻の後に御霊がペテロを励ましたこと(十九節)、御霊の傾注(四四節)、御霊を受けた結果、異言で語り出したこと(四六節)である。これがみな示しているのは、この出来事の重大性である。この出来事の意義を歴史家ルカが高く評価していることは、彼の詳しい説明からわかる。

こうして、ゴルゴタで原則的に導入されたものが、初めて歴史的現実になった(ヨハ十二・三二、十一・五二、エペ二・十五~十六)。これにより、神の御前ではユダヤ人と異邦人との間に違いはないことが宣言された。イスラエルの独特な立場はこうして退けられ、以前のユダヤ人と異邦人とから成る教会が確立された。ヨッパでペテロが見た幻と、ペテロがカイザリヤでコルネリオに遣わされたことは、したがって、新しいタイプのキリスト教の始まりである。このキリスト教は律法とは関係ないすべての民のためのものであり、このタイプのキリスト教が今や、当初のユダヤ人のキリスト教のタイプに、同じ起源を持つものとして加えられたのである。

これにより、それと同時に、救いにあずかった者たちの新たな交わりが、十分な規模で初めて現れた。この交わりは超国家的であり、歴史的であり、普遍的であり、内的にも外的にも世界を包含するものである。ここで初めて、神はユダヤ人と異邦人とを区別されないという原則が歴史的に現された(使十五・九)。そして神は、この両方の集団の信者全員に「同じ賜物」(使十一・十七)を「等しく」(使十五・十一)お与えになる。あるいは、パウロ的な言い方をすると、この二者を隔てる「隔ての中垣」を神は今や取り壊されたのである(エペ二・十四)。こういうわけで、エペソ二・一~二二、三・一~二一(特に二・十三~三・六)でパウロが議論した「奥義」が最初に啓示されたのは、彼ではなくペテロだったのである。エルサレムでペテロが天の王国の扉をユダヤ人に対して開いたように(使二・一~四七)、カイザリヤで異邦人に対して開いたのである(使十・一~四八、マタ十六・十九を参照)。

「教会」はパウロ以前に確かに存在していた。そうだからこそ、ルカはこの言葉をパウロ以前のクリスチャン共同体にあてはめることができたのである(使八・一~三)。あるいは、パウロ自身が「教会」を迫害したことを告白している(ピリ三・六、ガラ一・十三、一コリ十五・九を参照)。エペソ三・三で、「教会の奥義が初めて知らされたのは自分である」とパウロは主張しているわけではない。彼が述べているのはただこうである。教会の中ではユダヤ人と異邦人の間に違いはなく、信じる異邦人と信じるユダヤ人は同じ権利を持つ、という奥義は、彼の世代よりも前の時代には(彼の前に個人的にではなく全体的に)、いま「聖なる使徒たちと預言者たちに御霊により」啓示されているようには知らされていなかったのである。複数形の「使徒たちと預言者たち」という言葉に注意しなければならない。これは、この啓示が与えられたのはパウロだけではなかったこと、そして、「御霊により」彼らに与えられたのであって、パウロの取り次ぎによって最初に与えられたわけではないことを意味する(五節)。「いま啓示されているようには」という句は、この奥義は旧約聖書の中に暗示されていたが、覆われた形や型で示されていたにすぎず、いま初めて適切に啓示されたことを、実は示唆しているのかもしれない。

 パウロが告げているのは、彼はこの奥義を「啓示」によって受けた、ということである(三節)。しかし、これらの神聖な啓示の順序や、啓示を受けたのは誰が先かという問題について、彼は一言も述べていない。三節の強調点は「私」ではなく「啓示」にある。彼がここで用いているのはギリシャ語の強調語であるエモイ(emoi)ではなく、非強調語のモイ(moi)であり、彼はこの言葉を(原文では)文頭に置くのではなく、非強調的に文末に付け加えている。反対に、「啓示」という言葉を強調するために、彼はこの言葉をはじめの方に置いている。「啓示によって、この奥義は私に知らされたのである」。ここで(ガラ一・十二と同じように)彼が告げることを望んでいるのは、「時間的に自分が先である」、「この啓示は自分だけに与えられたものである」ということではなく、「この問題に関して、自分は人から独立して一人で立っている」ということだけである。エペソ三・八まで、彼は強調語のエモイ(emoi)を使っていないし、この語を文頭に置いてもいない。しかし、そこで彼が取り扱っている問題は、彼がこの奥義を最初に受けたことではなく、彼がこの奥義を諸国民の間で宣べ伝えたことである。これはもちろん、当時、実際にパウロの特別な任務だった。彼は世界の諸々の民に対する福音の大使の長だったのである。

 (「私はこの情報をジョーンズ氏自身から得た」と言う人がいたとしても、それは、「ジョーンズ氏はこの問題を以前だれかに話したことはない」ということを言っているわけではない。英訳者。)

この奥義を示して敷衍すること、そしてそれと同時に、救済史におけるこの奥義の地位に関して新たに生じた副次的な基本的問題を示して敷衍することが、教師としてのパウロの特別な任務だった。これに加えて、この教会の性質と完成に関するさらに詳細な啓示が彼に与えられた。パウロが宣べ伝えた独特な教理のほとんどすべては、この源によるものである。

こういうわけで、教会のこの奥義が、その新約聖書的な構成や構図にしたがって最初に示されたのは、確かにパウロではなかったのである。しかし、後に、先立つ人々とは関係なく、主ご自身により、特別な啓示によって、この奥義が彼に与えられたのである(ガラ一・十一~十二、エペ三・三以下)。これは、彼の奉仕の独立性を保つためにも、また、異邦人に対する彼の使徒職の信憑性を確かなものとするためにも、必要なことだった(ガラ一・十一~二四を参照)。その結果、御霊の導きの下で、彼はこの新しい偉大な真理とその本質的意義を描写した。これほどの広さや深さでこれを描写した人は、後にも先にも彼しかいない。この意味で、彼は諸国民に対するイエス・キリストの大使の長だっただけでなく、教会に対する教師と預言者の長でもあったのである。

しかしこれは、パウロが他の使徒たちとは異なる経綸上の立場に立っていたことを意味しない。教会の中に救いと教理に関する二つのメッセージ―― 一つはユダヤ人のクリスチャン向けであり、異邦人のクリスチャン向けとは内容が異なる――があったわけではなく(ガラ一・九~十を参照、使十五・九、十一・十七)、すべての使徒が新約の同じ真理を示したのである。違いはただ、働きの領域(ガラ二・七~十)と、メッセージを伝える形式や方法だけであり、使徒たちの個性によるものだった(使徒たちの個性により、例えば、見方、様式、聖書の比喩的表現に違いが生じたのである)。また、深さや広さも異なっており、それはキリストの賜物の度量にしたがって各自に割り当てられたのである。最後のこの点において、パウロは格別に恵まれていたのである。

新約の教えを宣べるパウロの重要性は、彼とその同労者たちの文書が新約聖書の中に占めるその割合の高さからもわかる。パウロの仲間――すなわち、今の場合、パウロ、ルカ、ヘブル書の著者――が新約聖書を半分以上書いたのであり、パウロ自身が四分の一を書いたのである。

もっと正確に言うと五十六パーセントであり、パウロは二十四パーセントである。使徒行伝の著者でもあるルカは(使一・一、ルカ一・一~四を参照)、長年パウロと親しい同労者であり旅仲間だった(コロ四・十四、さらに使十六・十の「われわれ」を参照、使十六・十三、十六・十六、二〇・七等)。文体や内容からわかるように、ヘブル書はパウロが個人的に書いたものではなく、彼の同労者の一人の作と考えるのが妥当であろう。ヘブ十三・二三。

2.パウロの手紙の中心的真理。パウロのメッセージの中心はイエス・キリスト、十字架につけられて復活した救い主たる方である。十字架におけるキリストの贖いの御業は、われわれの罪を消し去った(ロマ三・二五)。栄光の中にある彼の命は、われわれの聖化のための力の源である。彼の来臨(パルーシア)と出現(光芒を放つこと、エピファニー)が、われわれの望みの目当てである。悔い改め(使十七・三〇)と信仰(ロマ一・十六~十七)により、罪人は彼との交わりの中に入り(エペ三・十七)、霊的に死者の中からよみがえらされて生かされる(エペ二・五~六)。罪人の救い主の歴史が、今や罪人自身の歴史となる。罪人は救い主と共に十字架につけられ、葬られ、「共に天上に座」らされる(ロマ六・一~二三、エペ二・六)。こうして、贖われた地上の人は「天に」在る(ピリ三・二〇)。クリスチャンは「キリストに在る人」である(二コリ十二・二)。

この逆もまた真実である。御霊により、高く上げられた方は、地上のご自身の民の中におられる(ガラ二・二〇)。「われわれのためのキリスト」は「われわれの内におられるキリスト」である(コロ一・二七)。この法理的なものは、同時に有機的でもある。十字架につけられた方は、われわれの間で栄冠を受けた方である。身代わりになられた方が支配者である。イエス・キリストは(キュリオス)である(ロマ十四・九)。

このように、パウロにとって十字架はたんなる過去の歴史ではない。彼は常に十字架を復活と共に見る。復活がなければ、十字架は彼にとって無力で、空しいものである。失敗であり、屈服である。まさに、最も悲惨な悲劇である(一コリ十五・十四~十九)。「自分は十字架だけを宣べ伝えた」と、彼は決して主張しなかった。一コリント二・二においてすらそうである。彼は十字架につけられた方を人々にもたらしたのである。しかし、この方を彼がもたらしたのは、彼の唯一の主題としてだった。彼は出来事ではなくパースンを、点ではなく無限の線を、たんなる過去の方ではなく常に現存しておられる方を、まさに高く上げられたキリストをもたらしたのである。このキリストは今は栄光のうちにおられるが、十字架を経験した方として見なければならない(黙五・六を参照)。

これがパウロの十字架の神学である。それは復活の水準まで進み続ける。死の暗闇を復活節の朝の陽光の中で見るのである。

次に、この太陽が全世界を照らす。キリストご自身が、「わたしが上げられるなら、わたしはすべての人をわたしに引き寄せる」(ヨハ十二・三二)と仰せられた。すなわち、キリストは民族を区別することなく、ユダヤ人も異邦人もご自身に引き寄せてくださるのである。これにより、世界大の福音宣教の扉が開かれた。歴史的には、全くの異邦人であるコルネリオの家でこれが公に起きた(使十・一~四八)。両者を分ける律法は、成就されたものとして廃棄されたのである。

このように、割礼と律法の廃棄が、原則として、キリストの贖いの御業の中に含まれていたのであり、コルネリオの家での出来事に至ったペテロへの啓示の中に含まれていたのである。しかし、使徒十・一~四八の時以降、律法と割礼はもはや救いとその交わりに入る条件ではないのだとすると、自ずと大きな疑問が生じることになる。

律法の目的は何か?という疑問である。使徒十・一~四八で生じたこの実際的問題を取り扱い、教理的に説明したのはパウロである――使徒たちや新約聖書の著者たち全員の中で主にパウロである。罪を示すものとしての律法は「キリストに導く教師」(ロマ三・二〇、七・七、ガラ三・二四)である。なぜなら、律法は罪人に自分の邪悪さと無力さを示し、それゆえ、神聖な贖い主の必要性を示すからである。それゆえ、キリストの出現と共に律法は消え去ることができ、こうして、旧約の律法の目的から、新約の律法からの解放が生じる。律法の目標であるキリストは、同時に律法の終わりでもある(ロマ十・四)。これがローマ書とガラテヤ書の中心的節、特にローマ一・一~三二、二・一~二九、三・一~三一、四・一~二五、五・一~二一、六・一~二三、七・一~二五、八・一~三九(特に七章)とガラテヤ二~四章(特に三章)の基本的主題である。

使徒十・一~四八以降、異邦人が義とされるようになったが、これはさらに国家としてのイスラエルが事実上退けられたことである。その時から救済史の中でユダヤ人にはそれ以上の優位性はなくなった。これから、必然的に次の問題が生じる。

それでは、神はご自分の民を捨ててしまわれたのだろうか?この問題もパウロは取り扱っており、新約聖書の著者たちの中でパウロだけが取り扱っている。彼はこの問題をまさにローマ書の中心的節で取り扱っている(それは歴史であると同時に預言でもある、九、十、十一章)。この御言葉は比類ない方法で、神の世界統治の計画を見ることを可能にする。神の行動は自由である。したがって、神に何かを強要する権利はイスラエルにはない(ロマ九・一~三三)。神の行動はである。したがって、イスラエルは自分の罪のゆえに神の裁きに服さなければならない(ロマ十・一~二一)。神の行動は祝福をもたらす。したがって、神はイスラエルの堕落を世の救いに転じ、ついにはイスラエルのための完全な救いに転じられる。神は御民を再び受け入れてくださる(ロマ十一・一~三六)。

さらに、原理的にはゴルゴタにより、実際的には使徒十・一~四八の行為により、人のあらゆる宗教的実行は、救いを経験するための前提条件としては破棄されたのであり、それにより、全くの異教徒である者が、啓示に従って定められた神礼拝を前もって何もしなくても、ただキリストを信じる信仰のみにより、救いを得て教会に加われるようになった。そうであるからには、それと同時にさらなる問題が浮上する。それは、

人の宗教的行為全般の価値についての問題である。この問題についても、答えを与えたのはパウロであり、しかもパウロが最初である。その答えは、無代価の恵みの教え、律法の行いによらず、ただキリストの犠牲のみに基づいて、信仰のみによって義とされるという教えに在る。これがパウロのメッセージ全体の核心・中心であり、ローマ書とガラテヤ書の偉大な全般的主題である。「ですから今、私たちはこう確信する。人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただ信仰のみによるのである」(ロマ三・二八)。

この問題のパウロの取り扱い方は、宗教的なユダヤ主義に対する彼の基本姿勢によって決まっている。この姿勢から、ヤコブと矛盾しているかのように思われる点が生じる(ロマ三・二八、ヤコ二・二四を参照)。実は、これは矛盾ではなく、調和の取れた対照である。これを説明するには、この二人の使徒の生涯の発展と導きの違いに着目しなければならない。パウロはかつてパリサイ人であり、その当時、働きによって義とされることを求めていた。そこで、パウロはキリストの御業と教えを見るとき、パリサイ主義すなわち偽りのユダヤ主義との大いなる対比において見たのである。他方、主の兄弟(ガラ一・十九)であるヤコブは、イエスの身内という比較的狭い領域、すなわち偽りのない真のイスラエル人の環境、メシヤを信じる忠信なレムナントの輪の中で育った。そこで、ヤコブはキリストの御業と教えを示すとき、それを真のユダヤ主義を成就するものとして示すのである。

それゆえ、義認の教理に関して、義認は死せる律法の行いとは全く無関係である、とパウロは強調する。ヤコブはそれとは逆に、真の義認は新しい命でもあるので、生ける行いとなって現れることを浮き彫りにする。パウロは偽りのユダヤ主義との対比を見て、偽りのユダヤ主義を否定する。ヤコブは真のユダヤ主義とのつながりを強調して、真のユダヤ主義を受け入れる。それゆえ、パウロは律法からの解放について述べ、ヤコブは自由の律法について述べる(ヤコ二・二五、二・十二)。しかし、根本的に二人は同じ真理を強調しているのである。というのは、パウロは信仰の働きの必要性についても述べているからである(ガラ五・六、テト二・七、三・一、三・八、三・十四、一コリ七・十九)。

一般的に言って、パウロが浮き彫りにしているのは、旧約の律法の規定そのものを行うことよりも、むしろ、それを行う悪い動機の方なのである。パウロが割礼、安息日、そうした類のものに反対するのは、それらが義認や聖化の手段と見なされて、律法がパリサイ的に誤用される場合に限られる(ガラ五・十二、コロ二・十六以降、一テモ一・八を参照)。それ以外の場合、使徒は安息日の遵守を人々の自由に任せているし(ロマ十四・五)、実に彼自身がテモテに割礼を施してさえいる(割礼はユダヤ人の国民的慣習だった。使十六・三)。また、彼はレビの律法のいけにえを自らささげた(使二一・二六、十八・十八)。それは、そうすることが魂を勝ち取る手段として有効だったからである(「ユダヤ人のために」、使十六・三、二一・二四、一コリ九・二〇)。

最後に、ユダヤ人と異邦人の両者は、区別できない同じ身分を持ち、同じ贖いにあずかるようになった。そうであるからには、当然次の問題が生じた。それは、

救いのこの新しい交わりの性質という問題である。特に、

贖われた者同士の交わりの性質と、
贖われた者が共同の贖い主に対して持つ共同の関係の性質である。

この問題でも、パウロは教会随一の教師である。彼はこの交わりを「体」の比喩を用いて描写する:キリストは「かしら」であり、贖われた者たちはその「肢体」である。「キリストのからだ」というこの絵図を用いているのは、新約聖書の著者の中でパウロだけである。パウロはエペソ書やコロサイ書、またコリント人への第一の手紙(特に十二章)だけでなく、他の個々の節でもこの絵図を用いている(例えばロマ十二・四)。

このように救済史において、ゴルゴタからと、ヨッパにおけるペテロへの啓示から、四つの偉大な新しい根本的問題が生じる――

律法の目的、
イスラエルの放棄と希望、
律法の行いとは無関係な義認、
救いにおけるこの新しい交わりの有機的一体性である。

そして、このどの問題においても、パウロが――新約聖書の著者たちの中でただ彼だけが――教会随一の教師となったのである。これからわかるように、パウロの手紙における基本的大問題はみな、キリストの十字架の結果であり、ヨッパでペテロに与えられた啓示に根ざしている。パウロに与えられた諸々の啓示は、ゴルゴタに基づいてペテロに与えられた啓示を解き明かして掘り下げるものなのである。

最後に、その戴冠式が到来する。新約の教会の始まりについて解き明かす使命を特に与えられたこの人に、今、その完成を予見することが許される。これは神の論理による。こうして、パウロは教会の希望の預言者となる。信者の復活、聖徒の携挙、キリストの裁きの御座、御民の変容、来たるべき霊の体――これらはみな、クリスチャンの希望の基礎である。そして、これらの事柄に関して、このように明快な詳しい教えを与えてくれる新約聖書の著者は、パウロをおいて他にいない。これがテサロニケ人への二つの手紙と、復活の章である一コリント十五・一~五八の主題である。

これにより、パウロは救済史の預言者となる。数千年の時と諸々の民や時代を包含する幻をもって、彼は諸々の累代と経綸を概観する。

彼は聖なる歴史の開始について語り、人類の始祖でありキリストに対応する者であるアダムについて語る(ロマ五・一~二一)。

彼は族長の時代について語り、信者の父であり型であるアブラハムについて語る(ロマ四・一~二五)。

彼はモーセの経綸、旧約律法の千五百年の意義を示す(ロマ七・一~二五、ガラ三・一~二九)。

彼は、「時が満ちて」キリストが現れたことについて語り(ガラ四・四)、キリストの十字架、復活、昇天、高揚について語る(エペ一・二〇~二一)。

彼は教会の諸原則、その召しと立場について教え、贖われた者が栄化されてキリストの御前に現れることについて教える(二コリ五・十)。

彼は反キリストの到来、その性質と権力、その勝利と滅びについて予告する(二テサ二・一~十七)。そして彼は主の現れと王国の樹立を待望する(二テサ二・八、一テサ二・十二)。しかし、それをすべて超えて、彼はついには永遠を、上なるエルサレム(ガラ四・二六)を、究極的完成を、神の時代の夜明けを垣間見る。その時、「万物を御子に従わせた方に、御子も従われるであろう。それは神がすべてのすべてとなるためである」(一コリ十五・二八)。

しかし、キリストは全体の中心で照り輝く太陽である。生ける方であるキリストに在ってのみ、生ける泉がことごとく開かれるのである。彼の手紙の中に百六十回以上現れる「キリストに在って」というこの短い句は、彼の救いの経験と公的教えの鍵であり核心である。ただキリストのためだけに彼は生きる。ただキリストだけを彼は証しする。ただキリストだけを、彼は世界の諸々の民に対する神の賜物として宣言する。これが彼の使命である。というわけで、彼は諸国民の教師であり、教会に対する第一の使徒であり、救済史の預言者であり、イエス・キリストの大使であり、来たるべき王の旗手なのである。