第四章 栄化されたパラダイス

エーリッヒ・ザウアー

「勝利を得る者に、私は神のパラダイスにある命の木から食べさせよう。」(黙二・七)

歴史の終わりと歴史の始まりは一緒である。聖書の最後の一ページは最初の一ページに対応する。聖書はパラダイスをもって始まり(創)、パラダイスをもって終わる(黙二二・一~二一)。

しかし、結末は始まりよりも素晴らしい。オメガはアルファよりも力強い。将来のパラダイスは、失われて回復されたものであるだけでなく、何と言っても、天的かつ永遠に栄化されたパラダイスなのである。

失われたパラダイスには危険があった:「それから食べるその日、あなたは死ぬ」(創二・一七)。栄化されたパラダイスでは、全き安全が支配する。「もはや呪いはない」(黙二二・三)。

失われたパラダイスでは、が「あなたは神のようになる」(創三・五)と言った。栄化されたパラダイスでは、「その御名(すなわち、その神の性質)が彼らの額にある」(黙二二・四)と聖書は述べている。

失われたパラダイスには、知識の木があった(創二・九)。栄化されたパラダイスでは、もはや知識の木は必要ない。完成された者たちは直接神の御顔を見るからである(黙二二・五)。

失われたパラダイスは人の敗北により終わりを迎えた(創三・二四)。栄化されたパラダイスは勝利者たちのために永遠に存続する(黙二・七)。「彼らは永遠に支配する」(黙二二・五)。

彼処では命の木は一本だったが(創二・九)、此処では通り全体に命の木がある(黙二二・二、二・七)。

「その木の葉は諸国民の癒しのためであった」。この御言葉から、「新しい地でも、人類のための癒しの過程はなおも継続するのであり、したがって、大きな白い御座の前で完全には義とされなかった人にも、新しい地の諸国民として、最終的に全き救いにあずかる希望が残されている」という推論を引き出すのは間違いであろう。もしそうなら、大きな白い御座のでも、裁かれた者には依然として救いの可能性があり、遂には全員が、一人の例外もなく、全き贖いを経験することになる。これについてF.デュステルディーク博士はこう述べている。「この表現の意味は、そのときなおも諸国民の間には病が存在する、ということではない。黙示録二一・四から、祝福された者から神が拭い去ってくださる涙は、そのときなおも痛みが存在する証拠である、という推論を導いてはならないのと同じである。この御言葉の意味はむしろ、地上の苦しみのために流した涙が永遠の生活で拭い去られるように、命の木の癒す葉は諸国民が地上の生活の間に被っ病を癒すためであって、新しい地では決して再び病を被ることはない、ということである」。

彼処ではエデンから川の水が流れ出た(創二・一〇~一四)。此処では神の御座から命の川が流れ出る(黙二二・一。なおエゼ四七・一~二三を参照)。

彼処では主権は地上にしか及ばなかったが(創一・二八~三〇、二・一九~二〇)、此処では主権は宇宙に及ぶ(一コリ六・二~三)。彼処には造られた太陽があったが、此処では永遠の創造者なる神ご自身が太陽である(黙二二・五)。

こういうわけで、すべてがどの面から見ても「新しい創造」である:

われわれの上には――新しい名(黙二・一七)、
われわれの内には――新しい歌(黙五・九、一四・三)、
われわれの周りには――新しいエルサレム(黙三・一二、二一・二)、
われわれの下には――新しい地(黙二一・一)、
われわれの上には――新しい天(黙二一・一)、
われわれの前には――決して絶えることのない神の愛の常に新しい啓示(黙三・一二)。
これは、完成された状態にある贖い主の「新しい名」によって示唆されている(黙三・一二)。名は性質を意味する。栄化された状態で主が新しい名によってご自身を啓示されることの意味は、主は将来、かつて一度も目にしたことのないご自分の栄光に関する、まったく新しい啓示を与えてくださる、ということである。そうして優しく、来たるべき代々の時代に、その恵みの卓越した富を示してくださるのである(エペ二・七)。

まことに、御座に座す方は仰せられた、「見よ、私はすべてを新しくする」(黙二一・五)。

われわれは代々にわたる神の御計画を畏敬の念をもって見つめる。聖書の救いの記録は、時間の前の永遠の門から時間の後の永遠の門へと、われわれを導いた。「最終的結末は、栄化された永遠に新しい始まりである」。目標はまさに出発点であり(詩九〇・二)、神ご自身である。

それは神がすべてのすべてとなるためである」(一コリ一五・二八)。

しかし神ご自身、代々の王(一テモ一・一七、逐語訳)は、その時、ご自身の無尽蔵の無限の豊かさの中から、代々の時代を生じさせられる(黙二二・五、エペ二・七、逐語訳)。天のヨベルで、神に贖われた被造物は神を讃美し、新創造の諸々の領域や世界中に、勝利の歓喜の歌が鳴り響いてこだまする:

御座に座す方と小羊に、祝福と、誉れと、栄光と、主権がありますように、
 永遠から永遠まで!アーメン」(黙五・一三~一四)。