第七章 奇跡から奇跡―妹の事

柘植不知人

すべての事は神のむねによりて召されたる神を愛する者のためことごとく働きて益をなすを我等は知れり(ローマ八・二十八)

これよりさき月曜会と名づけた祈祷会を自宅に開いていた。これは個人問題の解決、全国リバイバルのため祈る目的であった。大正四年四月、或る朝のこと一度ひとたび主の御手に委ねた妹の行方はいよいよ神が示し給うとの確信が与えられ、これを一同にあかしして感謝を求めた。ところが数日の後、突然一電報を受けた。読んでみれば驚くべし、妹が広島救護院に居るから迎いに行けとの通知であった。直ちに準備して行った。自分はその事務所に着き、自分の身の上をあかしし、妹タツなる者、御厄介になりるやと問うたら、ここられますと障子一重ひとえの次の間に居たが、私がけんとする時、彼も兄の声なるをさとり、口には住所姓名すら語ることあたわざるも兄のあることは心に覚え、いずれの日か尋ね来るならんと待ち居たと見え、痩せ衰えたる身なれどもね起きて内より障子を押し退けんばかりに兄さんと言うてただ泣き伏した。彼の心状しんじょうを察する私は共に感涙かんるいむせび、暫時ざんじは言葉も出でなかった。彼は如何にしてここに至ったかを察するに、体の健康な間は何者かのもとにてもてあそばれて居たが一度ひとたび病にかかるや大阪梅田駅までれ来たり、広島までの切符を与えて放逐せられたようである。何処どこに行くか何処どことどまるかも知らざる彼は広島を通過するをも知らず、宮島駅にて車掌が見付けて広島に送り返したるも、彼の行く所はなし又旅のつかれにて歩行も出来ず、駅に倒れ居るを京橋警察の手を経て広島救護院に収容せられたものと見える。

彼に会うたその姿を見るに体は全く痩せ衰え数年間湯に入ることもなく髪を結ぶこともなく病苦のうち呻吟しんぎんしたものにて一見、人のかたちを失い、惨状を極むる容貌であった。その時私の心に浮かびたることは、この妹は兄があっても語ること出来ず、これを呼び求むることを知らず、ただひそかに救いに来たるを待って居たらしい。我等の救われたのもあたかもその通りで天に父のあるを知らず、これを呼び求むるみちを知らず、れど魂の内には何者か救い主のあることを覚え、何時いつかは救い出ださるならんと魂は黙して飢え渇き、言うことの出来ない不安と恐れと苦痛のうちに悩める時に、主イエスは天の栄光を棄て難きこととせず、父なる神の聖旨みむねに従い我等を救わんため、世にくだり給うた。そして堕落の底にある我等の所まで届き給うた時、初めて長く求めていた救い主はこれぞとばかりに主イエスの御手に抱きつき救われたることを思い出され、神の愛の深きことに感泣かんきゅうした。又如何にしてこの救護院に居ることを発見したかと言うに、いよいよ病勢つのり危篤となったから、受け持ちの医師は妹に尋ねてお前の兄弟か親戚か誰か引き受ける者はないかと尋ねた時、ただ宮内みやうち長谷はせ』とのみ語った。医者と事務員とがこの事を語り合って『宮内みやうち長谷はせ』ではところの名か家の名か更に分からず、これではとても探すよしなしと語り合っていた時、医師の玄関に待っていた車夫がこれを聞き『宮内みやうち長谷はせ』なれば私の国にあります、邑知ゆうち郡の宮内みやうちと言う所に長谷はせと言う家があって私共の国では常に『宮内みやうち長谷はせ』と称えております、故に病人の語られるはこの家のことでしょうと偶然車夫の言葉によりて通知を出すことになった。これ即ち本人の妹の嫁いでいる家のことであって、それから私の方へ打電したけであった。そして病人は重態なれば最早もはや何時いつ召されるともはかられず、先ず魂の救いにいて福音を聞かせたところが白痴にも関わらず、御聖霊の御働おはたらきあって直ちに主イエスを受け入れて罪の懺悔をなし、確実に救われたと見え、たちま顔色かおいろ変化し、かくも恐ろしきまでやつれ衰えた顔にも救いの喜びをたたえ、感謝するに至った。

医師の語らるるには今この病人をれて帰ることは途中案ぜらるるから二三日とどまって葬式を済まして帰る方がよかろうと忠告せられた。しかし彼はすでに救われたからたとえ途中如何いかなることがあっても思い残すことはないから横川よこがわ駅から二等車に乗せ、途中看護に注意しつつ、主の守りのうちに神戸に安着した。

そしてその時すでに神癒を信じていたから必ず今一度癒し給うことを信じ、ただ神の憐れみを求めて祈っていたが、ある人注意して万一の事があったら医者の診断書も必要なれば一応医者に見せ置くべしと勧められたが、信仰には万一ということはない必ず癒し給うと信じ、ことかる奇跡的に今日こんにちまで保ち給うた神はこのあかしを遂ぐるまで決して召し給うはずがないと信じ、ただ祈り続けていた。

一方妻は彼の癒されんことを切に求め、かれの看護に極力励んだ。その時妹はすでに肺結核の三期になっていたが、少しも伝染を恐れるふうなく、彼と共に臥し彼の残した物を食し、ただ一意専心いちいせんしん看護に努めた。ある時彼の食したる残り物を食するを見て如何いかに神癒を信ずるからとて注意すべきことは霊の常識によりて注意すべきである、不注意によりて伝染を招くことは聖旨みむねでないと妻に忠告した所が、妻は答えて万一いささかにてもこれを恐れる所があっては神の愛を徹底せしむることが出来ません、私はすでに救われていますから、主に召されても躊躇することはありません、この魂を救い、今一度癒して戴くことは大いなる働きなれば身命しんめいなげうつとも惜しむ所はありませんと答えた。その彼を愛すること肉身にくしんも及ばぬことを見て常に感謝して互いに彼のために祈っていた。遂に神はその祈りに応え給うて彼は全く癒され、体は健康体とせられた。

その後果たして妻は伝染を受け肺病にかかり、しばらく家庭の繁忙はんぼうを避け須磨すまの地に静養せしめることになった。留守宅は私と妹の二人のみで、私が御用のため出る時は妹一人留守をしているのであるが、夕方帰りて見ると涙を流して何事か祈っている。誰のためそんなに泣いて祈るのかと妹に尋ねたら、ねえさんのため毎日祈っております、ねえさんは私をあんなに愛してくださって私が癒されたから同じエス様はねえさんを癒してくださると信じて祈っておりますとの答えであった。

これによって教えられたことは如何いかに白痴でも赤心まごころこめて愛の実行をなせばキリストの愛は人々の心に届き、その愛を感ぜしむるものであることを教えられた。これは将来伝道の助けとなり、如何いかなる精神病者あるいは意識なきものであっても理屈や教理や学説や説明を以て教えることあたわざるも愛の実行なれば神の愛を徹底せしめ得ることを教えられた。

そして妻はかる祈りに応えられ、間もなく全癒ぜんゆして以前に勝る健康体とせられた。彼の家出したことも発見したことも病の癒されたこともの賎しき者をして貴き使命をまっとうせしめんがため、神の深き聖旨みむねの内にあったことを教えられ、神に召され神を愛する者にはすべての事ことごとく働きて益をなすを我等は知れりとの御言みことばの裏書きとなった。