第九章 聖霊のバプテスマ

柘植不知人

にわかに天より迅風はげしきかぜの如き響きあり……ここに於いて彼等はみな聖霊に満たされたり(使徒二・一~三)。

前章に述べた如く山にて聖潔きよめに徹底して帰った。翌日は私の住んでいた町の大掃除日で各戸かくこともすべての荷物を戸外こがいに出し、掃除を済まして検査の来るを待ちおる時に、私は二階より近隣の戸外こがいに積み重ねた多くの荷物あるを見受け、自分の庭を眺むればただ柳行李やなぎこうりと夜具と日常の器あるにすぎず。この時我が心に浮かびたることは彼等は多くの物を持ちおるも、これらは皆虫くいさびくさり盗人ぬすびとうがちて盗めば消え去るものであるが、我がため天の父の備え給うさかえの富は無尽蔵にして信仰の鍵を以てくれば必要に応じ、時に従いて無制限に与えらる。この約束の貴きことを思い巡らして感謝する時、一個の風呂敷包みのあるに心付いた。これは救われてより大掃除の時にのみ出したり入れたりしていたものである。これまで光に従い又何とかして聖霊のバプテスマを受けたいという願いより、これも棄てたら善いか、あれも棄てたら善いかと考えたる結果、最早もはやすべてのものを処分し来たり、未信者時代のものは山高やまたか帽子一ツとこの風呂敷包みあるのみ。そこでこの包みは何故なにゆえ残したかということを考え見るに、それは前生涯に於いて用いしの道具と以前売薬ばいやくぎょうとするもりで出願許可を得たる売薬ばいやくの株にて、これを売れば相当の価額かがくあるものでなおまかり違えばそのぎょうをなして世に一成功せんとする心より持っていたものと、又或る筋より拝領したる記念品にして一もんの名誉となるべき品その内に残しあることを思い出した。これを残したる理由についてさかのぼりみるに、万一伝道者を止める場合はこれにて一事業なさんとする、その所が分岐点となり、又処分することをいといおることを発見した。れども召されたることと選ばれたることとを思うに最早もはや絶対に再び地にける者となるべきものにあらず、永遠に神のものとせられ、神に仕えるよりほか行くべき所なきを悟り、如何いかなることありとも世につける何物をも要する時代なきことを深く示され、ここに於いてこれらのものが罪であると否とは問う所にあらず、神のために働く者に必要なき理由を以て直ちにその包みのまま裏に運び打ち砕き、火に焼きすてた。その時更に喜びは満ち感謝の溢るるを覚えた。これにて地にけるものに対する依頼心は全く消滅し、今後の運命を全く神のみにまかし、神のことばにのみよりて歩み、万一神のことばりて飢え或いはこごえ、或いは働きが絶えたる時はこれを以て地上の使命の終われる時として進むことに決心した。たと人為じんいによりて勝れるみちあるとも、或いは人によりて生くるみちありとも、かくして生くるよりはむしろ神のことばと共に討ち死にすることを以てもっとも勝れることと信じた。

この時妻を二階に呼びその決心をあかししたるに、妻の信仰いまだ徹底せざるが故に快諾することあたわず、それはあまり冒険な処置なりと言う。私はこれがため妻に別るるともわれは主に従わんと決心を表した。その時妻もその決意の動かすべからざるを悟り、遂に同意を表すに至った。その時いよいよ前途に殉教あるのみと覚悟し、全く一切を献げ、壇上の生涯となった。

しかしてその翌日警監けいかんミッション堺支部に出張し、その夜は堺組合教会無牧むぼくなりしため一夜の集会を求められ、これをだくして集会をった。ところが聖霊の御働きいよいよ著しく臨在かがやき、説教中ばにして全教会罪の自覚起こり或いは泣き叫び、或いは戦慄しベンチよりまろび落つるものあり、その光景物すごきばかりにて最後に全会衆残らず皆悔い改め救いを叫び求めた。この時会衆は救いの喜びに満ち全く己を忘れ、帰路に着くも、西に帰る者が東に帰り、北に帰るべき者が南に行き、三々、五々その光景を語りつつ歩みて帰路を誤ったほどであった。これらの光景が当時の人々が追想して常に恵まるると語りおられること屡々しばしばであった。

そして御用終わりて大阪駅に着いたが汽車の発車時刻は十一時五十九分で、なお一時間の余裕あれば何処どこかにて祈らんとその場所を求めたれどもなし、梅田駅の裏町に出で神を崇め、御血おんちを讃美し、歩んでいる時、驚くべし、俄然がぜん上より大いなる勢い我を覆いたるに、驚くべき能力ちから身に満ち、いよいよ喜びは頂上に達し、最早もはや黙することあたわず、ゲラゲラ笑い出でて制止することあたわず、ゆえにハンカチーフを以て口を蔽い、駅に出でたるも群衆に向かい顔をあぐることあたわず、顔を背けながら汽車の一番うしろの席を選び、壁に向かって座し、ようやくその声を制して神戸の自宅に着いたが、その喜びは益々ますます満ち溢れ、常に祈りのしつと定め至聖所と称えていた一室に入って感謝し、又心の限り神をほめたたえていたが、如何いかなるゆえにてかる御行みわざを我が上になし給うたか分からず、れどこれは尋常普通の事にはあらざるべし、何事か神の大いなることを為し給う前兆であろうと待ち望んでいたが、昼の疲れで少しの間眠った。その時大いなる異象まぼろしあらわれ、自分は壇上に立ち説教しているとの前には千々万々の群衆泣き倒れおる光景を見た時、これはやがて起こらんとするリバイバルであることを示された。その時我が右に主イエスの立ち給えるを拝し、ああこれは主イエスだと気付いた時その御姿みすがたは消え失せた。その時丁度午前五時であった。そして我が身になし給える御行みわざのあまりにも大いなることを更に思い巡らし、このあかしぐに発表すべきか、或いはなおしばらく黙しおるべきか、何にもして主の深き聖旨みむねのあることと思い、その旨の明らかに示さるるまで面会を避け、三日三夜の間祈った。その時これぞ永らく求め来た聖霊のバプテスマであってその異象まぼろしは将来必ず実現する時あるを信ぜしめられた。しかしこの事はなおも軽率に証しすることを恐れいたが、四日目に至り教会の祈祷会に出であかしは口に溢れ出でんとするも、その夜は黙して帰った。帰りみちに二三の熱心なる友と語り合う内、遂に話は聖霊のバプテスマのことに及び、はしなくも聖霊のバプテスマはくの如きものであると我知らず証したところが、その二人の兄弟と一姉妹は切に祈りを求められ、湊川みなとがわ公園の地面じべたに跪いて祈った。一人の兄弟はぐに喜びに満たされ、今火を受けたと叫び始め、なお二人の人も共に喜びに満たされて帰った。

第一 献身について

そもそも奉仕の生涯は我が神を信じ、又神我を親任しんにんし給う所より生ずる契約にして、即ちアブラハムの献げたる犠牲いけにえうちを通り給うて、彼と契約を立て給いしが如く、神は聖潔きよめ恩寵めぐみを受けて山をくだった翌日私の信仰の献身を試みんため、万一伝道者を止めてもこれさえあればという動機より残し置きたる風呂敷包みを示し、その包みの品物の如何いかんに係わらず、これを残し置く所の意志を棄てて永久我に従うかと迫り給いしことを悟り、この献身は永久神のものとせらるるものなれば最早もはや己にけるものの必要なること再びなきことを悟って、これを全く処分し、その時より神に一切を献げたのである。

これは神が御自身の御名を荷なわせ、全権大使として親任しんにんし給う者に欠くべからざるものである。その時まで何故なにゆえに聖霊のバプテスマを受けること能わざりしかというに、その理由は全き献身を欠き居たるため、神はこれを信任し給うことが出来なかったためである。世に聖霊のバプテスマを受けることは極めて困難のように思い、或いは不可能と誤り、又は特定の人のみ受け得るように誤解し来たりたるも、要するにこれらの誤りは皆全部を献げて従わずして、たまもののみを受けんとしたるためである。

第二 火を受くる時の状態

上よりの能力ちからを受くる時の心の状態は全く己の働きに死に切り、全く信仰の安息にりたる状態であった。八日の日は山にて死に切り、九日には全く献げ切り、十日の日は主イエスが墓の中に横たわりおられし如く何等なんら自分の願いも欲望も知識も働かず、言うに言われぬ平安満ち、いとも安らかなりしも、ただ何事か今にも我が身の上に起こりそうに感じつついた。しかしそれを今あせり求めなければならぬということもなく、いよいよ主との交わり濃厚となり、目を閉じれば地上にあることさえわきまえざる心地し、心の内には主を崇め、御血潮おんちしおめたたえ、ただ夢中となって求むることもなく、待ち望むともなく歩んでいたとき、俄然がぜん大いなる勢いに覆われて身に能力ちからの覚えるを感じ、更に大いなる喜びに満たされた。これを聖書に当てめ見るに、聖霊のバプテスマは此方こちらから叫び取るにあらず、おのが力によって受くるにあらず、ただ神の心に適うよう一切を壇の上に横たえる時、神これを受け入れ給うた印として、又弟子たるものの奉仕の能力ちからとして与え給うものであることを悟るに至った。