第十五章 台湾伝道(三)

柘植不知人

汝等貧しき者はさいわいなり、神の国は即ち汝等のなればなり(ルカ六・二十)。

一、里港

里港りこう屏東へいとうの北西に当たり数里の所にありて軽便けいべん鉄道あり、同地の牧師は屏東の集会にでリバイバルの光景を見て驚き、帰って信者を集め、その栄光の顕れたる状態を話し、信者も大いに喜び里港に於いても御行みわざの起こらんことを切に祈り求め、準備を整えて我等を迎えた。我等は里港駅にちゃくするや二百名ほどの日曜学校生徒と百名ほどの信者は各々手に旗を持って出迎えられ、一見旧知の如く親しく初めより交わった。我等のため某病院を宿舎に備えられた。天幕は町の空き地に立てられ、その夜より伝道会を開いた所が町の人々こぞって集まり来たり、立錐りっすいの余地もなかった。驚くべきことにはのリバイバルの響き山間さんかん僻地へきちにまでも喧伝けんでんせられ、二三里遠くは五六里の地より男女老幼のわかちなく求め来たった。彼等はマクスウェル師等の福音を聞きて以後えて集会にでざりしものであるという。

集会は会一回とますます盛大となり、聖霊のおん働きいよいよ著しくなり、昼間の信者聖別会もリバイバルの光景となった。夜間の伝道会にては求道者を募るに全会衆一人として去るものなく、一通り救いの綱領を話し、更に徹底的救いを求むる者を募ればまた一人も動くものなし。遂には第三回に及ぶも各熱心に道を求めてやまず、くの如くして聖会はさかえを増し、閉会するに至ったが、翌日里港の地を去らんとする時、五六十の老翁ろうおう老婆ろうば或いは青年男女交々こもごも入り来たりて握手を求め彼等は異口同音いくどうおんに言う『お前達はここにとどまれ、ここを去ってはいかない』と引き止める有様ありさま如何にも無邪気にして如何に帰らねばならぬ必要を語るとも頓着とんちゃくせず何でもでもお前はここを去ってはいかぬと言うてまず、これらは一片の挨拶にあらず、また人情情実じょうじつによるにもあらず、言語風俗をことにし、何等なんら人間的に共通する所なきもただ主の愛により一つにせられたれば彼等は別るるに忍びずくも引きとめたのである。この時我等は如何なる人種も如何なる国人こくじんも一たび主の愛に満たさるる時は自然一つにせらるるものであることを深く教えられた。

くてその土地を去るときは迎えられた時に数倍して駅に見送られた。中には屏東まで見送らるる兄姉けいしも多くあった。駅にて別るる時は誰一人頭をあぐる者なくすすり泣きして別れを惜しんだことは他に於いて多く見ることの出来ぬ光景であった。

二、萬丹

萬丹ばんたんの牧師も屏東へいとう聖会にでられ、そのリバイバルの栄光を拝し非常に恵まれ、帰りて準備し、我等を迎えたのである。萬丹は屏東の東方数里を隔てた小町こまちであるが、ここには有名なる富豪仲儀ちゅうぎ氏の宅を宿所に当てられ、会場は同氏庭先の大広間を用い、昼は信者の聖別会を教会で開いた。ここに於いても屏東リバイバルのことを聞き、信者一同熱心に恵みを求めてきょうせんばかりであった。初めより主の御行みわざ著しく、李氏夫妻を初め教会員一同恵まれて夜の伝道会のため尽力せられた。この小さき町なるに係わらず、遠近より集まる者初夜より一千名に及んだ。特に克己こっきけいは聖霊に満たされ、自由に渾身の力を込めて通訳せられたので、聴衆はよくよくその奥義を悟り、聖霊に感じてますます緊張した。第二日には二千人第三日目には三千人以上を算したという。通訳付きのことなれば一回の説教ほとんど二時間に及ぶも聴衆少しも動かず、熱心に之を聴き、毎夜求道者を募ればこれまた里港りこうの如く誰一人として去るものなく全会衆みな救いを求む、あまり多数にて指導の方法なく一同に悔い改めよと勧めて一所いっしょに祈らしめて後、閉会せんとしたが更に去る者なく、是非なお一たび導きれと要求してまず、更に第三回目の指導をなして更に進んだ話をなした。十字架の死と甦りを語るとき一同十字架の愛に感泣かんきゅうし、最後に至り、一同感涙と共に悔い改め、救いを求めたるに聖霊のおん働き著しくして全会衆救いの喜びにたされ、讃美して主の御血おんちめたたえたる光景は実に天国の如く、集会終わりても喜びと感謝に満たされ、或いは歌い、或いは語り、徹肖てっしょうその所を去らぬ者も多くあった。李氏一族こぞって主を受け入れ、我等に対して最善の好意を表されたことは感謝にえぬことである。

その次に東港とうこうに至って同様の集会をなし等しく栄光を拝した。