第二十章 基督伝道隊設立の由来(上)

柘植不知人

エホバ、ギデオンに言い給いけるは我水をめたる三百人の者をもて汝等を救い、ミデアン人を汝の手に渡さん、他の民はおのおのの所に帰るべし(士師記七・七)。

大正四年四月将来の奉仕に係わる黙示を受け、第一の使命は前にも述べたる如く神の人を養成することであった。

第一 場所の選定

思想宣伝の原則として場所の選定は最も重要問題であると考え、日清、日露、欧州戦乱の結果日本の領地は西南に拡大しつつあれば将来日本の中心は大阪ではあるまいかとも考えて見たが、矢張やはり現今の大勢では東京がすべての中心地であるから、少なくも日本領土全般に係わる福音宣伝の本部は東京を以て最も適当とするが故に東京にその道の開かれんことを祈りつついた。

ちょうどその頃信州しんしゅう飯田いいだにても或る人々の勧めにより預言者学校を設立するについては相当そうとう尽力じんりょくを惜しまずとの希望があった。そもそも信州しんしゅう下伊那しもいなぐんは地形上一区域をなし、すべての天恵てんけいに富み、天龍川てんりゅうがわの上流にして風光ふうこうもまた自然に備わり、あたかもカナンの地に酷似するを以て神の人を養成するには最も適当ならんと認められたるが故に東京と比較して種々しゅじゅなる方面より考慮した。しかるにキリスト教は他の宗教と異なり、いたずらに世の複雑を避け、之を離れんとする隠遁主義のものにあらずして、現在の社会にありてすべての患難と誘惑に打ち勝ち、世人せじんのとても勝ち得ざる所を神の恩寵によりて勝ち得て余りある生命せいめいの生涯を送り、神の栄光を顕すことはキリスト教の本領たるを覚え、遂に福音宣伝、神の器養成の地は東京を以て適当と認め、また神の聖旨みむねと信じ、東京にこれらの必要なる土地家屋の備えられんことを切に祈り求めつつあった。折柄おりがら大正九年箱根修養会に於いて渡部わたべ正雄まさお兄姉けいしと知り合いたるはこれぞ神のおん導きであった。

渡部わたべけいは多年脊髄病にかかり、日本有名なる大家の治療を受け、あらゆる人為じんいを尽くされたるも到底全治の望みなく肉体の癒しについては失望の結果、魂の救いを得んと願い、箱根修養会に集われたのであった。又その姉妹は腹膜ふくまく肺患はいかん脚気かっけなどの諸病しょびょうを病み、多年夫と共に帝国大学病院を始め、名家めいかの治療を受け、あらゆる人為じんいを尽くしたるもこれまた到底治療の見込みなく、夫と共に担架に乗せられて箱根修養会に集われたのであった。その時聖書にある神癒の真理を始めて聞き、たとえ不治の病といえども十字架の贖いを信ずる者は死と甦りの奥義的救いにより、今一度全く新たにせらるるとの望みの曙光しょこうを得、同夫妻のため神癒の祈祷をなした。その時直ちに神癒の体験を得なかったがいよいよ信仰を強められ、必ず癒さるるとの希望を以て集会を去られた。しかるにそれが縁となり同兄どうけい所有の現今の場所を借り受くることとなり、遂に大阪より東京に移り、その所に於いて集会を開くに至った。

或る時その姉妹病苦にえず、車に乗って神癒を求めて来られた。その時ただ一回の祈祷によって多年の難症なんしょうことごとく癒され、全く新たにせられ、また或る時夫渡部わたべけいもこれらのくすしき神の栄光を拝した結果ますます神癒を信ずるに至り、或る時脊髄の他に大患たいかんかかられ、最早もはや危険の状態に陥った時、私は招かれて行き神癒の祈祷を捧げたとき俄然がぜん神の御行みわざ起こり、三十分後にすべての大患たいかん癒されて新たにせられた。これらの驚くべき恵みを受けたる彼等夫妻は最早もはや一切を献げて神に仕えるのほかみちなきことを悟り、遂に現在の落合おちあいの宅を全部神に献げて基督伝道隊の本部をここに置くことと確定したのは全く神の摂理と言うのほかはない。

第二 各地教会の観察

第二の準備としては日本に於けるキリスト教の沿革及び従来り来たった働きの方法と現今の大勢を知る必要を認め、これがため巡回伝道の必要を感じていた折柄おりがら、大正八年より巡回奉仕の道開け、各修養会の招きを受け、また各地教派団体の要求を受け、爾来じらい日本全国を巡回し、各先輩がたと共に働き、日本に於けるキリスト教の大体を知るに至ったことはこれまた神の貴きおん摂理であった。何故なにゆえに日本のキリスト教が聖書的標準に達せざるかというにそもそも欧米文明が輸入せられ、知識欲にかられている日本人の欲求に投ぜんがためキリスト教も知的に伝えられ、たまたまこれを信ずるというも福音の奥義を信じて魂の救いを得るにあらずして知識欲をたし、或いは語学を学ぶ方便として之を利用したるもの多く、その弊害は依然今日に及び、信者といえども救いの実験をたず、聖潔きよめの体験を得ず、ただ教理的教えを受け、キリスト教的形式儀式に捕らえられ、知識的にキリスト教を知るのみにして霊的カナンの恵みを知るもの少なきは日本キリスト教の進歩せざる原因なることを認め、いよいよ純福音宣伝の急務を痛感し、基督伝道隊の設立を急いだ。

第三 名称

そもそも人間の創立したる教派団体の弊害についてはこれを知悉ちしつし、たとえ如何なる名義めいぎ方法といえども地よりでたるものの有害無益にして無用の長物ちょうぶつたるを免れず、故にこれらのてつを踏む必要なきは論を待たず、れど神の立て給いし群れとして神より授けられたる名称の必要あり、これがため祈り求めたるにギデオンの三百の精兵卒せいへいそつの如く人の選びにあらず、自分の好みによらず、直接キリストより使命を授けられたるものにして、ただキリストを中心に崇め、このキリストの声にのみ聞き従い、ここに何等なんら人為的組織制度を設けず、ただキリストを主として各々これに従う結果自然に一つの群れとなり、隊となりたるを以てここに基督伝道隊と命名したのである。