第二十二章 落合聖会

柘植不知人

これすなわち汝らが代々よよ絶えず集会の幕屋の門口かどぐちにてエホバの前に献ぐべき燔祭なり、我その所にて汝等に会い汝とものいうべし(出エジプト二十九・四十二)。

落合おちあい聖会の前身ともいうべきものは私が神戸に居た頃、聖霊のバプテスマを受くるためとリバイバルのために是非特別なる祈り会の必要を感じていた。その頃日本伝道隊にて教役者一同月曜日を以て休日に定められていた。大正四年四月その日を利用して一種特別の集会を開き、これを月曜会ととなえたのであった。この祈り会は普通の祈り会とおもむきことにし、待ち望んで神に近づき、神の臨在に触れ、神の声を聞くことを主としたものであった。その待ち望み中に種々なる罪を示され、率直に光に従いて罪を悔い改め、又は告白し、全く霊界に進入し、種々なる霊の戦いを経て遂に神の臨在に近づくを以て目的とした。

故に或る時は黙想し、又は黙祷し、或いは発声して祈り、霊の導きに従いて前進するのである。故に時としては数時間或いは数十時間にわたることもあった。その間に敬虔の態度を改め、不信仰を悔い改め、罪とがを棄て或いは悪霊の乗ぜんとするを防ぎ、くして霊的の経験を積み、霊戦れいせんの秘密を示され、或いは身体しんたいの鍛錬を受ける、この戦いを続けるときは実際的に霊的知識を増し、霊眼れいがん開けて肉の働き、或いは感情、知識又は悪霊の働き、或いは聖霊の働きについてことごとくこれを識別し得るに至るものである。

この戦いにえずして黙想中歌い出す者あり、或いは聖言みことばを受けたりとて語り出す者あり、或いは曖昧なる方言の如きことを語り出す者あり、或いは預言をなす者あり、或いは身体疲れて睡眠に陥る者あり、或いは便所に行くとて立つものあり、或いは罪の同情を求めて泣き出す者あり、或いはほかより不意の出来事起こりて妨げらるるあり、かるときの心理状態又は霊状ははなはだ曖昧なるものにしてこれ皆肉性の働き悪霊のそそのかしにしてみたまの導きにあらず、待ち望みて光に従い神の臨在に近づき全く赤裸々せきららとなることを避けんためかる行動にでてその場を逃れんとするものである。もっともこれらはその真相を知らずして無意識の内になす場合が多い。くの如き肉性或いは悪霊の働きの巧妙なることは到底聖霊によらずして看破かんぱすることの出来るものではない、れどここに聖霊に満たされたる体験者ありて指導する時は如何なるものも自らの真相を知り、種々なるれいの働きをわきまえ、遂には神の臨在に近づき、驚くべき霊肉の変化を見るに至るものである。くして神に近づくときはいよいよ霊眼れいがん開かれ、神の輝く姿を拝し、声を聞くに至り、遂に神の断腸の思いを示され、亡び行く魂の惨状を見、その叫び声を聞くに至る。ここに至って始めて世界リバイバルの叫びは避くべからざるに至るのである。即ちこれが月曜会の目的であった。爾来じらいこの月曜会に加わる者段々多くなり、遂には大正五年十月私が火を受けて後いよいよ盛んになった。

しかるに大正八年巡回の使命を受け、各地修養会又は各地集会に於いてこの火の流れは遂に大リバイバルの光景を拝するに至った。そして一度ひとたび立ち上がるや寝食をなすいとまさえもなく各地に転戦したるため、しばらくこの月曜会も中止となっていた。

その後大正十一年二月再びこのリバイバルのため祈り会の必要を感じ、東京の自宅にてこの月曜会を再興し、少数を以て始めた所がたちまちこれを聞きて集まるもの多く、第二回を開くときいよいよ聖霊の働き著しく遂に集会を閉じ難く、その集会を続くること一日四回づつ二十七日間にわたった。ここに於いて各地より来たれる多くの人々は聖霊に満たされて散り、この叫び各地に響きわたり、第三回目には数百名のもの集い、この時もまた聖霊の働き著しくして会を閉づること能わず、遂に十四日間にわたり、多くの人々潔められ、聖霊のたまものを受けた。

第四回目より落合おちあい聖会と名づけて日本の一大聖会となった。爾来じらい二ヶ月又は三ヶ月目に聖会を開き来たったが、会を重ねるごとにいよいよ主の栄光顕るるに至った。この集会の特色とも言うべきは日本全国各地より集まり又各教派団体のうちより恩恵めぐみを慕い来たる点である。くの如く来たるほどのものは聖霊に満たされると共に全国各地より不治の病のもの集まり、これらは皆奇跡的に癒されて聖霊に満たさるるを常とす。この聖会にて恵まれ、地方に帰り、善きあかしを立て、一つの群れをなす者も少なからず。遂には大正十五年一月の聖会を以て会を重ねること十五回に至った。この集会のため各地より入り込むもの多くありて、彼の人家じんか稀有きゆう落合おちあいの里も段々町をなし、又信者として来往らいおうする者多く起こり、或いは病の癒されんため来たりてとどまるもの多くあり、この集会のため神の御恩寵ごおんちょう、その土地の人々に迄及ぶに至った。願わくばこの御行みわざ全人類に及ばんことを。凡ての栄光を主に帰し、祈ってまざる次第である。