第二十五章 我が生涯の最高試練(三)

柘植不知人

もし人罪を犯せば我等のために父の前に保恵師ほけいしあり即ち義なるイエスキリスト彼は我等の罪の挽回なだめ祭物そなえものなり(一ヨハネ二・一、二)。

この時なお身体しんたいの苦痛は烈しく如何に信仰に立っているとはいえ、実に苦痛にえず、れどこれを避けることも退くることも出来ず苦痛は苦痛として忍ぶよりほかなく、いよいよ戦いは烈しく絶頂に達したる時、十日一時半頃であった。突然上より挽回なだめ祭物そなえものという声が心に響いて来た。はからずも上を仰ぎたるに、ヨハネ第一書二章一節二節にある恩恵めぐみの法廷が開かれありて其の光景を示された。即ち裁判長として高くあがれる宝座ほうざに座し給うは父なる神で、保恵師ほけいしとして其の所に立ち給うは義なるイエス・キリスト様で、又遙か下段かだんの被告の席に着くは死の宣告を受けた小子おさなごなる僕であった。何たる恩恵めぐみの法廷であろうか、独子ひとりごを賜うほどに我等を愛し、如何にもして無罪の宣告を与えたいと、十字架の贖いをさえ立て給うた愛のお父さまが裁判長である。又我等の弱きを思いやり、彼は小子おさなごなればと御自身のおん血潮の勲功いさおしに訴え、何処どこまでも無罪を主張せねばみ給わない。保恵師ほけいしは救い主イエス・キリスト様であった。この時私の心にたちまち一大変化が起こった。これまでは多少遠慮のあるような祈りであったが、この時計らずも、お父さま、お父さまと口よりほとばしで、全く小子おさなごになり、お父さま今日まで十二年あまり、僕のして来たことを、お父さまの方より御覧になれば、すべてが失敗と過ちばかりで、ただ聖旨みむねを痛めたことばかりですが、愚かなる弱い僕の方より申しますなら、如何にもして聖名みなをあがめたい、聖旨みむねのなるようにと、一切のことを打ち忘れて、ただ一生懸命に尽くして来たのです。一じつとして私のために生きた日はありません。今聖栄みさかえのために御馬前ごばぜんに殉教するというのなら何も申し上げることはありません。れど病の床に倒れることは出来ません。どうぞ今一度癒して殉教させて下さい、とだだをこねるように、お父さんの愛と憐れみの聖旨みこころすがった其の時、『は死ぬる病にあらず神のさかえのためなり』、あまりにも大きな声にて喫驚びっくりしていると更に続いて、『神の子をして之によってさかえを得しめんがためなり』との聖声みこえあたか百雷ひゃくらいの轟くが如く僕の肺腑はいふを貫いた。これまで神癒については必ず癒さるると信じて来たが、しかし癒さることが聖旨みむねか召さるることが聖旨みむねなるかについて多少の懸念もあったが、は死ぬる病にあらず、神のさかえのためなり、との聖声みこえ肺腑はいふを貫いた時信仰は溢れて最早もはや大丈夫という確信は満ち満ちて来た、その時更に『石をけよ』と再び聖声みこえはひびきたれば、主よ石をけます信じましたと答えたる其の瞬間、『よ、汝すでにえたり』との聖声みこえにて自らに帰って見れば、癌腫がんしゅは雲の如く消え、霧の如く散って痛みも苦痛もなく、全く聖言みことばの如くすでにえ居りたれば、思わず知らず歌は溢れで、手を打ち鳴らし、歓喜の声をあげ

ハレルヤ ハレルヤ
エスすくいぬし われをすくえり
ハレルヤ ハレルヤ
エスのめぐみを かんしゃせん

暫時しばしは時の移るも知らず、神をほめたたえた。しかして翌午前五時に至りめさめて見るに、病が癒されたのみならず更に上よりの能力ちからを全身に覚え、いよいよ神癒の確信は満ちて、この確信と能力ちからにより、世の悩める人々を救い得ると思う時、更に歓喜は溢れ希望は輝きてややしばら聖名みなおん血潮をめたたえた。

更に続いて示されたことは今日までの誤った使命を立て直すことであった。初めに示された如く主イエスは弟子等にただこの上よりの権威と能力ちからとを授けて遣わし給うた。されどペンテコステ以前の弟子等はイスラエルの迷える羊のほかに行くなかれと制限せられたが、一度ひとたび聖霊のバプテスマを受けた時、『天のうち地の上のすべての権を我にたまわれり、このゆえに汝等行きて万国の民にバプテスマを施し、之を父と子と聖霊の名に入れて弟子とし、つわがすべて汝等に命ぜしことばを守れと彼等に教えよ』と命じ給うた。しかして弟子等のために会堂を建て或いは伝道館を設立して任命したのではない。彼等一度ひとたびこの能力ちからを受けた時に美しの門の足萎えを癒し、神の権威と能力ちから、彼等によって顕れたため、遂に三千五千の救わる者起こり、教会は彼等の働きの実として生命いのち表顕あらわれとして至る所に起こされた。

故に将来の使命は教派の拡張にあらず、伝道館の設立にあらずして、上よりの能力ちからの授けられたる器を養成することである。従って活水かっすい学院の将来に於いても全く今日までの面目めんぼくを一新し、祈祷によって祈り出され信仰によって生み出されたる神の人を作ることは目下もっかの急務中の急務にして、この一事こそおもなる使命なることを示された。

第一 信仰の動作

このくすしき御行みわざに与った内に最も必要なる第一のことは信仰の奥義であった。信仰は安息なるも、一面活ける信仰は活動するものにして動作が必要である。例えば主イエスが中風の者に床を取り上げ、立ちて歩めと命じ給える時立ちて歩みたるが如く、かの信仰と事実との戦いは頂上に至り、もし苦しいから、痛いからと言うてそのまま倒れて居る時は魂の内には信仰は働くであろうが身体しんたいの内には信仰働かず、そのまま信仰は沈殿して死物しぶつとなってしまう。所謂いわゆるヤコブが信仰も行いを兼ねざれば死ぬるなりと言いしもこの事である。

かの苦しみの最中、とても立ち上がる勇気なく、身体しんたい疲れ、気力衰え、如何に信じて歩まんとしても何の手応えもなく、これでは仕方ないとそのまま病苦に圧迫せられ、ただ体を安静にしている時は信仰の力は少しも身体しんたいに働かずして、そのまま病勢いよいよつのり、倒れてしまうのが普通である。その時何の手応えなくともに何の印なくとも、そこを信じて一歩踏み出す時に、神の力はここに働きて、信ずる者の内に働く大いなる能力ちからを体験するものである。これはあたかもヨルダンの川渡りの如く、水の別れるを待ち居る時は踏み入る時なきも、信仰を以て死の川に踏み出すや否や、水開けて甦りの力はに加わるのである。

かの時の私の経験は霊に於いても肉に於いても全く力つき果て、そのままくらきの力に圧倒せらるのほかすべなしと思う時に、自らを頼まず死にし者を甦らす神を信じ、その信仰に立ちて信仰の動作を始めし時、甦りの力を体験した。

信者にして病気にかかり、医者の勧めによりて安静し、体の働きを全くめる時、信仰も共に死んで如何に祈るとも少しの力も覚えず、そのまま倒るるもの少なからず、れど始めより御言みことばに従い信仰の働きをす時神の力加わり、遂に信仰によって勝利を得るものである。このたびの病についてもこの動作の必要なることを示され、始めより一日いちじつとして臥したるまま一日いちじつ中を過ごしたることなし。必ず朝起きれば一度いちど床を払い、信仰に歩みつづけて遂に病勢の下敷きとならず、何処どこまでも攻勢を取って進みつづけたるは勝利の秘訣なることを深く教えられた。

第二 応えらるる祈りの秘密

第二に示されたることは祈りの秘密であった。応えらるる祈りは父なる神の憐れみの心を捕らえて祈る祈りである。主イエスの御生涯を見ても常に父なる神のおん憐れみの心に訴え給うたとは、しばしばバックストン師より承った所であるが、私の祈りの応えられたるも要するにここにあった。その癒さるるまでは今日までの失敗と過ちを悔い、ただ罪を赦したまえ、今一度憐れみ給えと祈りながらも何となく神を恐い神の如く思い、まかり違えば棄てる神の如く思いて、何となくそのうち人心ひとごごろありてこれなら聞かるるとの確信をつこと能わず、又罪赦されたりと信ぜんとしてもなお不安をてるものの如くあった。れど自ら失敗も過ちも忘れ、ただ天の父さまのおん憐れみのはらわたつかみ、子心こごころとなって自らの真相を告白いいあらわり頼める時、直ちにこは死ぬる病にあらずとの御声響きわたった。これについて思うに罪を悔ゆることは元より必要である。又神の赦しを受くることは更に必要であるが、神の愛の御精神は我等がきにもしきにもあれ、ありのままくつろいで告白し、父なる神に子らしき態度を取り、よりすがるその心根こころねこそ神の喜び給う所にして、これが祈りの答えらるる秘密である事を示された。