編者言う

柘植不知人

柘植先生は大正十五年三月十日、熱海にて俄然大患より癒され、その後静養中、私は二回行って補佐し、二十五章まで仕上げ、ペンテコステに伴う証の部分も予定せられた計画であったが、之が急に纏まらなかったので生前に出版の運びに至らなかったのである。別府への途中、大阪出帆の時、もう一度別府に行って最後の相談をなして出版する約束であった。その内にと思っているうちにこんな事になってしまった。先生は私の行くことを心待ちに待っておられたそうである。生前に出すことの出来なかったことは残念であったが、その値高き原稿を残されたことは全教会の大いなる幸福であって感謝に絶えぬことである。

リバイバルの器であったチャールス・フィニーはリバイバルに関する講演を残した。その書の行く所にリバイバルが起こったということである。本書によって大いなる御行の起こらんことを祈って止まぬ次第である。

本書を編纂するに当たって、なるべく短き章に区分しておいた。その理由は一時に多く読まぬためである。読者は一度に一章以上読まぬようせられんことを御勧めする。先生が本書を出された目的は要するにペンテコステの経験に至る指導のために外ならんのであるから、かかる書は多く読んで物知りになることは決して霊魂の成長を助くるものでない。一章を読んだなら、聖書の言に照らし、之を己が魂に当てはめ、よく祈って階段を登るが如くに進まれんことを忠告しておく。

昭和二年四月一日

京都伝道館にて 西條彌市郎